大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

横浜地方裁判所 昭和49年(ワ)847号 判決 1992年12月24日

《総目次》

当事者

主文

事実

申立て

主張

(第二分冊及び第三分冊の一、二)<省略>

証拠

理由

第一章当事者の地位

第一 原告ら

一原告組合 二個人原告

第二 被告

第二章本件紛争発生前の横浜税関の状況

第一 横浜税関の沿革

第二 貿易の進展と税関業務の急増

第三 機構及び設備の整備拡充

第四 業務の合理化

一合理化の背景 二事務の機械化 三通関手続きの商品別一括処理 四申告納税制度の導入

第三章原告組合の組合活動の変容

第一 組合結成当初の情勢

第二 組合活動の過激化

一政治闘争化 二実力闘争化

第三 原告組合の分裂

一神戸税関の情勢 二原告組合の内部の確執 三第二組合結成の経緯

第四章当局の全税関対策

第一 基本方針

第二 庁舎管理規則

一庁舎管理規則制定の経緯 二庁舎管理規則の内容 三庁舎の目的外使用の基準 四庁舎管理規則制定の意図 五庁舎管理規則の適法性

第三 当局幹部の発言

第四 マル秘文書

一東京税関会議資料及び関税局会議資料 二横浜税関関係文書

第五章原告組合の活動に対する具体的規制

第一 従前の労使関係の見直し

一武藤税関長の就任と規制の強化 二婦人室及び図書室の管理の取上げ、海務課更衣室の改造 三勤務中の組合活動の規制 四団体交渉の回数の減少 五厚生委員会の改組 六その他

第二 職員の組合選択に対する当局の態度

一原告組合からの脱退と原告組合への加入 二新規採用者への教育 三新規採用者の組合選択

第三 原告組合の活動に対する批判

一当局幹部の批判 二本件第二組合等による批判 三当局と本件第二組合の関係

第四 警察と当局との関係

第五 庁舎管理規則による規制

一庁舎管理規則に違反する集会等の規制 二庁舎利用の事前規制 三文書配布、掲示に対する規制

第六 原告らの違法行為に対する当局の監視と処分

一監視体制の整備 二監視の態様 三当局による処分

第六章差別及び嫌がらせの存否(昇任等と賃金を除く)

第一 配転

一本件係争期間中の配転 二配転の相当性

第二 職場の配置

第三 研修及び表彰

一研修 二表彰

第四 職員宿舎

一独身寮 二家族宿舎

第五 その他

一サークル活動 二葬式及び結婚披露宴

第七章本件非違行為

第一 非違行為の成立

第二 非違行為の違法性

第八章昇任等と賃金

第一 昇任等の根拠規定

一昇任 二昇格 三昇給 四税関長の昇任等に対する裁量権

第二 裁量権の濫用と不法行為の成否

第三 昇任等及び賃金の格差の存否

第四 格差発生の理由

第五 格差の相当性

第九章結論

当事者目録

請求債権目録

当事者の表示 別紙当事者目録記載のとおり

主文

原告らの請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一  申立て

一  原告ら

1  被告は、原告らに対し、それぞれ別紙請求債権目録の請求金額の項記載の各金額及びうち同目録の内金の項記載の各金額に対する原告番号1ないし106の原告らにつき昭和四九年六月一六日から、原告番号107ないし109、111及び112の原告らにつき昭和五〇年二月九日から、各完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行の宣言

二  被告

1  主文一、二項同旨

2  担保を条件とする仮執行の免脱宣言

第二  主張

一  原告ら

別紙原告らの主張記載のとおりである。

被告主張の別紙昇給、昇任、昇格及び非違行為一覧表記載の各事実(非違行為欄記載の事実を除く。以下右表を「昇任等一覧表」という。)は、これを認める。

二  被告

別紙被告の主張記載のとおりである。

原告らの主張第一編第一章記載の事実(原告和久野及び同中村の各死亡による承継関係、本訴提起時の全税関組合員数及び原告組合員数、原告組合の活動方針、代表者の選出方法、分会組織の詳細の点を除く。)及び同第二章記載の事実は、これを認める。

第三  証拠関係<省略>

理由

第一章当事者の地位

第一原告ら

一原告組合

原告らの主張第一編第一章第一記載の事実は、本訴提起時の全税関組合員数及び原告組合員数、原告組合の活動方針、代表者の選出方法、分会組織の詳細の点を除き、当事者間に争いがなく、本訴提起当時の全税関組合員数及び原告組合員数、分会組織の詳細の点は、<書証番号略>及び弁論の全趣旨により、原告ら主張のとおりであると認めることができる(なお、本件で取り調べた書証は、その殆どが陳述書、組合関係の機関紙、税関の庁内報等であり、成立に争いがないものか、成立に争いのあるものも弁論の全趣旨によってその成立を認めることができるものであるから、以下、書証の成立についての説示は、当事者間で特に争いとなるものについてだけを当該箇所で示し、その余については省略する。また、原則として反対証拠を排斥する理由の説示も省略する)。

二個人原告

1 原告らの主張第一編第一章第二記載の事実は、原告和久野及び同中村の各死亡による承継の点を除き、当事者間に争いがなく、原告和久野及び同中村の各死亡により、原告和久野富子並びに同中村榮子、同中村恵子及び同中村健が本件訴訟を承継したことは、記録により明らかである。

2 個人原告らの入関、昇任、昇給等の関係が昇任等一覧表(非違行為欄を除く。)記載のとおりであることは、当事者間に争いがない。

3 個人原告らは、いずれも、入関と同時若しくはその直後ころ原告組合に加入し(ただし、原告本多は昭和四一年八月、同菊池は昭和四七年二月、同佐藤里子は昭和四四年四月にそれぞれ加入した。)、そのうちの殆どの者が、既に本件係争期間(昭和三九年四月一日から昭和四九年三月三一日まで)及びそれより前に、全税関本部、原告組合又は分会の執行委員等の役員か国公共闘の議長等を歴任している(ただし、原告島田、同加藤勝夫、同鈴木俊久及び同古屋は、この時期には役員に就任していない)。

第二被告

原告らの主張第一編第二章記載の事実は当事者間に争いがない。

第二章本件紛争発生前の横浜税関の状況

(<書証番号略>、証人寺島幸蔵の証言、弁論の全趣旨)

第一横浜税関の沿革

横浜税関の沿革は、遠く幕末の開国に伴い安政六年(一八五九年)に開設された神奈川運上所にまで遡る。神奈川運上所は、明治期以降の官制改革に伴い、名称も横浜運上所本局、横浜税関本局、横浜税関などと改められ、その機構、権限、業務内容、管轄区域等も変遷を重ねてきたが、後述の戦時中及び戦後の一時期を除き、我が国の代表的税関として現在に及んでいる。

戦時下の昭和一八年二月、全国の税関官制が廃止され、横浜税関の組織及び業務も、運輸省海運局に合併吸収され、終戦直後の昭和二〇年九月、横浜市及びその近郊の横浜税関(当時は海運局)の本関を始めとする庁舎等は、関連施設と共に駐留米軍に接収された。

この接収中の昭和二一年六月、横浜税関は、仮の本関庁舎を横浜市中区内の現本関庁舎とは別の場所に置き、そこで業務を行っていたが、昭和二八年末、現本関庁舎の接収が解除されたので、昭和二九年以降、同所においてその業務を行っている。

この間の昭和二八年八月、横浜税関東京支署が東京税関として分離独立した(その管轄区域は当初東京都だけであったが、その後、埼玉県、群馬県、山梨県、新潟県、山形県と千葉県の一部が横浜税関から移された。)。

第二貿易の進展と税関業務の急増

我が国の民間貿易は、昭和二二年に一部が、昭和二五年には全部が再開され、日を追って急激に進展したため、これに伴い税関の業務も激増した。特に、昭和二五年に勃発した朝鮮戦争によるいわゆる動乱ブームは、この増加傾向に一層の拍車をかけた。

この状況は、全国の輸出入申告件数が、昭和二二年は一万四二二六件であったのに、昭和二五年に三九万〇〇七九件、昭和二六年に六七万二〇二七件、昭和三〇年に一二二万九六七三件にと急増し、横浜税関のそれも、昭和二二年に二一五三件であったのが、昭和二五年に一四万八九五六件、昭和二六年に二七万二五六三件に、昭和三〇年にはそれまでに東京税関が独立し、横浜税関の管轄区域が縮小したにもかかわらず、二一万四七九三件となっていることからも明らかである。

第三機構及び設備の整備拡充

横浜税関は、その業務量の増大に伴い、税関機構の改革、税関施設及びその関連施設の整備拡充が急務となり、その機構については、戦後の再開時に、一房、三部、三支署、七監視署であったものを逐次拡大し、前述のとおり(当事者間に争いのない請求の原因第一編第二章第二記載事実)整備拡充した。また、税関施設及び関連施設については、戦災復旧工事としての港内の沈没船の引揚げ、掃海や浚渫に始まり、昭和二七年までに倉庫などの維持補修工事等を行い、昭和二九年以降、棧橋、埠頭及び上屋等の関連施設の整備拡充を行い、昭和三九年以降、新港分館、新設の支署及び出張所等の税関施設を次々と整備拡充した。

ところが、横浜税関の職員の定員は、昭和二三年に四三〇名であったのが、昭和二四年に七八七名、昭和二六年に一三三六名、東京税関独立後の昭和三〇年に一〇三八名、本訴提起時に一五四〇名に増えただけであった(全国の税関職員の定員は、昭和二二年の二五二九名が、昭和二四年に三五八二名、昭和二六年に五四〇〇名、昭和三〇年に五五五七名となった。)。

第四業務の合理化

一合理化の背景

当局は、前述のとおり、機構の改革と税関施設の整備拡充を図り、ある程度の成果を収めることができたが、人員の不足もあってなお十分ではなく、事務の機械化、簡易化による業務の合理化により、激増する業務に対処する必要に迫られていた。

二事務の機械化

既に昭和二七年に、貿易統計を一括処理するため、大蔵省関税局にPCS(パンチカードシステム)が導入され、昭和三八年に、これをEDPS(電子情報処理システム)に切り替えるなど、事務の機械化が図られたきた。横浜税関においても、昭和三三年以降、新鋭機器による分析鑑定室の整備拡充、統計事務処理用の電動計算機の採用、監視取締用の無線機の導入などが進められ、昭和三六年には、コピー機を使用した輸入許可書の作成、計算管理室(計算センター)の設置、電動計算機、加算機及び会計機による輸入通関関係事務及び納税告知書の集中処理などが開始され、事務の機械化が図られた。

三通関手続の商品別一括処理

昭和四一年四月、輸出入通関手続(受付、貨物検査、通関免許)の面でも、従来、それぞれ異なる部門で取り扱っていた輸出入申告等の通関事務を、商品分類別による分担制とし、その担当に属する物品については、当該部門で一元的に処理することとした。

四申告納税制度の導入

昭和四〇年一〇月、改正関税法が施行され、従来、賦課課税方式であった関税の納入方式が、申告納税方式に改められ、同時に関連の諸制度も抜本的に整備拡充された。これは、関税納入制度の原則を、申告納税に転換することにより、いわゆる申告水準の向上(申告の適正化)を図り、現品検査省略範囲の拡大、通関事務処理体制の改善等の措置と相まって、究極目標である通関事務の迅速化・簡易化を実現するというものであった。この改正に伴い、従来の監視取締りを中心に考えられていた保税地域における事務処理及び監視取締体制も改善され、監視取締まりは、適正な通関を確保するのに必要な限度で、重点的、機動的に行われることになった。

この趣旨に則り、通関事務処理については、①派出職員による貨物の確認の立合いの範囲を最小限のものとし、派出職員が立合い又は確認を行うもの以外は、保税地域の庫主又は管理者が自主的に立合い又は確認を行うこと、②輸出貨物の搬出入届は、保税地域の庫主又は管理者が自主的に行う記帳によって代用すること(保税地域の自主管理の原則)、③同年九月一日から貨物課の分掌事務となる保税運送の承認事務は、原則として、方面主任又は派出職員が取り扱うこと、④取締りを補完する必要から、定期的に記帳状況の点検、蔵置貨物の在庫状況の調査等を行うことなどが定められた。

ちなみに、従前、税関の主要な業務の一つであった監視部の監視業務は、うち陸務課の陸務業務にあっては、各埠頭出入口に設けられた監所を中心に、通行通過する貨物や通行人に対する検問、検査等を行うことを主とし、海務課の海務業務にあっては、横浜港を幾つかの港区(こうく)に区分し、各港区に停泊する本船(貿易船)に赴いて臨検を行うことを主とするといった、固定的な体制で行われていた。ところが、昭和四一年以降は、より機動的、効率的に行うこととし、陸務業務にあっては、埠頭等のパトロールを中心とし、海務業務にあっては、班編成により港区全域をパトロールし、随時、所要の本船を臨検することを中心とする体制に切り替えられた(原告小松、同松永についての監視業務非協力の非違行為には、このような背景事情もあったのである。)。

第三章原告組合の組合活動の変容

(<書証番号略>、証人寺島幸蔵、同大谷昭夫の各証言、原告栗山、同和久野、同高嶋昭各本人尋問の結果、弁論の全趣旨)

第一組合結成当初の情勢

前述のような税関業務の激増は、勢い税関職員に加重な負担を強いる結果となったが、原告組合は、昭和三〇年代の始めころまでは、賃上げ、人員増、超勤反対ないし超勤手当の完全支給、完全週休制の実施、物品完備、施設改善、勤評(勤務評定)反対等の職場の具体的要求に根差した経済的要求を掲げ、当局との話合いによる穏やかな方法での経済闘争を展開していた。労使関係にもさほどの対立はなく、職場の秩序も概ね保たれていた。その結果、労使が共同して業務の合理化にも取り組み、昭和三二年一〇月以降、本船出港四八時間前申告(輸出貨物の通関申請を貿易船の出港四八時間前までに行うもので、昭和二八年一〇月以降当局が業者に要望していたことである。)を励行すること、原則として、輸出入申告期限を平日は午後五時、土曜日は正午とし、この時刻を過ぎてなされた申告については、臨時開庁(関税法九八条に基づく通関業者の求めに応じて税関長の承認により行われる平日の執務時間外又は休日における執務にための臨時開庁)をしないこと、臨時開庁時限は平日は午後八時とし、日曜休日には臨時開庁をしないこと、輸出入通関業務の輻輳する年末には輸出入申告を控えることなどを業者に徹底させ、職員の超勤や休日出勤、年末年始の休暇期間中の出勤を減らすといった成果をあげていた。

第二組合活動の過激化

一政治闘争化

安保条約の改定が政治問題化してきた昭和三四年、全税関は、国公共闘の結成に参加した。国公共闘はさらに地方公務員労働組合共闘会議と共に公務員共闘を結成したが、これに伴い、原告組合も神奈川県共闘(神奈川県公務員労働組合共闘会議)に参加した。また、安保条約の改定が国会で承認された昭和三五年五月には、全税関が総評に加盟したのを受けて、原告組合も神奈川県評(神奈川県労働組合評議会)に加盟した。

原告組合は、安保改定阻止国民会議の設定した安保改定阻止全国統一行動日である同年六月四日と同月二二日の両日、安保改定阻止、岸内閣退陣のスローガンを掲げ、部外のオルグの支援のもとに、当局のあらかじめの警告や現場での中止命令を無視して、早朝から午前九時三〇分までの、勤務時間に食い込む職場大会を強行し、さらに、当局の中止命令に抗議するため、ピケを張って職員の出勤を阻止する闘争を行った。

同月七月九日、当局は、この闘争に主導的役割を果たした原告栗山、同和久野、同高嶋昭、同辻、同的場武夫、同岩元及び同熊澤に対し、訓告等の懲戒処分をした(各処分の内容と理由は、別紙原告別非違行為一覧表(以下「非違行為一覧表」という。)の同原告らの昭和三五年六月四日及び同月二二日の欄並びに別紙原告別処分状況一覧表(以下「処分一覧表」という。)の同原告らの同年七月九日欄記載のとおり)。原告組合は、この処分に対しても抗議し、定時一斉退庁闘争を実施した。

全税関は、昭和三六年三月五日付全税関新聞(<書証番号略>)で、傘下の組合員に対し、「公労協のストを積極的に支援せよ。春闘で安保廃棄国民生活の向上を。合理化反対の闘いは私たちだけの闘いではなく、世界中の抑圧された人民の共通の闘いであり、主要な敵はアメリカ帝国主義と独占資本である。職場で働いているのは私たちであり、一切を事前に協議させ、組合の意見を容れないときはこれを拒否する。職場では官の合理化攻撃に対し、徹底した討議を行い、民主的に行動を決め、あらゆる要求を官につきつけ解決させる。合理化は政府資本のやることであり、組合の団結によってハネ返すことができる。」等と呼びかけた。

その後、全税関は、同年七月に開催された第二四回全国大会において、合理化によるあらゆる労働条件の切下げに反対し、時間短縮、社会保障の拡充、行政の民主化等の諸要求を掲げた闘いを安保条約破棄の闘いと結合して行うとの運動方針を決定し、同年八月には、この運動方針にそい、賃上げの闘いを中心に、権利拡大、労働基本権の奪還、平和と独立・民主主義を守るための安保廃棄、政暴法・国公法粉砕の闘いを精力的に行うことを指令した。

原告組合は、このように外部団体との連携が強化されていく中で、全税関の指令のもとに、地対空ミサイル・エリコン56陸揚げ、警職法改正、国公法改正、政暴法制定、安保改定、ポラリス原潜横須賀港寄港等に対して、前記外部団体が展望した反対闘争に、積極的に参加するようになった。殊に、安保改定反対闘争への参加は、経済闘争から政治闘争へ傾斜していく大きな転機となり、以後、国公法改正反対、原潜寄港反対、日韓条約締結反対、アメリカのベトナム侵略反対等の政治闘争に大きな力を注ぐようになった。

二実力闘争化

原告組合は、政治闘争に傾斜し始めたのと時期を同じくして、当局の前述の業務合理化に対しても極力反対し、組合主導の業務運営を実力で実現しようとする激しい業務規制闘争を展開するようになり、昭和三四年五月には、五千円賃上げ、合理化反対を叫び、政府は独占資本の利潤追求の野望を援助するため安保改定を強行し、公務員に対して合理化を押し付け、組合活動に干渉と圧迫を加えているなどと宣伝して当局を非難した。

同年一〇月ころには、職場の原告組合員全員で労働歌を高唱して就労開始時の点呼を妨害し、同月一五日から一七日にかけては、規定どおりの休憩休息を取り、宿日直明けの午前八時三〇分以降は勤務に就かず、輸出入申告書が完備するまで通関手続をせず、従前事実上業者が手伝っていた業務を組合員が行い、平日の午後三時、土曜日の午後零時以降に搬入された貨物の現場検査を実施せず、開庁規制をして、やむを得ない果物の通関業務以外の通関業務を行わないといった順法闘争を行った。

さらに、同年一一月二六日には、一律三千円の賃上げ、期末手当3.5か月分支給、共済組合の掛金の強奪反対、年休完全消化、連続職場大会開催、集団交渉貫徹、定時退庁実施、合理化反対、安保改定反対、業務規制実施等のスローガンを掲げて、完全休養取得の順法闘争を実施し、同月二七日には、定時退庁の順法闘争と、当局の就労命令に対する抗議行動を行った。

こうした行動は、原告組合だけのものではなく、同年一〇月には、同様のスローガンを掲げて、名古屋税関の支部組合は、休憩時間に監所を空にして職場大会を開き、神戸税関の支部組合は、昼休みに税関庁舎内で職場集会を開き、労働歌を高唱し、スクラムを組んで監視部長室前まで庁舎内をデモ行進し、同室内で行われている組合交渉に圧力を加えるといった闘争を行った。

原告組合の実力闘争は、引き続き、どの職場でも行われていたが、若い組合員を抱える監視部の陸務課、海務課において特に激しく、昭和三八年ころには、点呼の際に、課長、係長に監視分会の要求事項について集中的に質問して点呼を混乱させたり、解散して勤務に就くよう命じられてもこれに従わず、大声を出して反抗し、課長らの席まで押し掛けたりしており、多いときには、こうしたことが月に一〇回にも及んでいた。

同年暮れの年末年始の勤務に関する闘争においては、点呼の際に、年末年始の勤務について聞きたいと質問し、課長や係長が税関の特殊な勤務体制を説明し、年末年始の勤務への理解と協力を求めたのに対しても、「太政官布告により休むことができる」「いい加減なことを言うな」「全員休むぞ」などと大声で怒鳴り、課長らが解散して勤務に就くように命じると、「解散とは何事だ」「まだ質問があるのに逃げるな」などと口々に叫び、課長らが自席に戻るとその席まで押し掛けて次々に質問を繰り返し、その挙句の果てに、「係長は精神が腐っている」「すぐ世の中が変わるから今のうちに考え方を改めた方が良い」「こんなことが分らないで課長が勤まるか」などと罵って課長らを威圧したり侮辱したりした。見かねた巡察が中に割って入ると、「黙っていろ」「巡察に聞いているのではない」などと言って反抗した。

こうした原告組合員の吊し上げといえる行動は、長時間に及び、他の職場の職員や業者が何事が起きたのかと事態を見に来る程に喧騒で、執務に重大な支障を来すものであった。同様の年末年始の休暇に関する闘争は、翌年の暮れにも行われた。

第三原告組合の分裂

一神戸税関の情勢

神戸税関においては、全税関の支部組合の中で最も組合員数が多い神戸支部が早くから過激な組合活動を展開しており、当局は、昭和三五年七月九日には、前述の同年四月の安保改正阻止統一行動日の違法行為を主導した組合幹部一四名に対し、減給又は戒告の処分をした。さらに、昭和三六年一二月一五日には、神田綽夫支部長、中田一夫書記長及び田代一郎組織部長の三名に対し、同人らが①大塚宏圀副支部長に対する戒告処分への抗議行動の際、官房主事の退室を阻止し、威圧的言動をとったこと、②当局の事前警告、執務命令を無視した勤務時間内の庁舎内での職場集会、デモを積極的に指導したこと、③人員増加要求のために超勤命令に従わないことを指導し、通関業務を妨害したことなどの国公法違反行為を理由として懲戒免職の処分をした。

これに対し、神戸支部は、昭和三七年二月に開催した臨時支部大会において、神田ら三名に対する免職処分は無効であるとして、同人らを支援することを決議し、同人らは、免職処分取消訴訟を提起し、全税関や各地の支部組合も同人らを支持した。

その一方で、神戸税関の職制組合員の中から、神戸支部に批判的な動きも生まれ、これらの職制組合員らは、同年六月に神戸労研を結成して、同月の神戸支部の役員選挙に山本巌会長を支部長候補に擁して闘った。その選挙では神田綽夫に敗れたが、これを契機として、神戸労研の動きに賛同する者が増え、同年八月に、鑑査部の職制組合員が集団で神戸支部を脱退したのを皮切りに、昭和三八年二月までに七〇〇名が脱退し、同年三月、神戸労研の会員を中心とする第二組合が結成されるに至った。

二原告組合の内部の確執

1 横浜税関内には、原告組合のほかに職員組合は無く、極く少数の税関の幹部職員(昭和三八年ころの原告組合の規約では、税関長、各部の部長、次長、総務課長、人事課長、会計課長、税関考査官、横須賀支署長、川崎支署長等一四名程度)とこれまた少数の未加入職員(昭和三八年ころで約五〇名)を除く大部分の職員は、入関直後に特に加入勧誘というほどの働きかけもないまま、ほぼ自動的に原告組合に加入していた。このため、組合員の中に職制、非職制といった立場の違う者がいることになり、しかも、職制組合員の数も決して少なくなかったことから(昭和三八年ころで全組合員の約四割)、組合活動のあり方を巡って、しばしば両者の間に確執が生じていた(昭和三一年一一月二二日付の支部ニュース(原告組合の機関紙)(<書証番号略>)は、監視部の陸務、海務の職場において、巡察(係長)と係員(一般職員)との間に、係員の行動監視と顛末書の徴求を巡ってトラブルが生じていることを報じている。)。

この組合内部の事情を反映して、まだ原告組合の組合活動が過激化する前の昭和二九年五月にも、課長クラスの職制組合員の一部が脱退し、その後も監視部の課長、巡察クラスの職制組合員が脱退し、昭和三一年六月に一一名、一二月には四十数名にものぼる職制組合員が脱退した。

原告組合は、昭和三一年六月の脱退について、職場闘争が職制組合員との間に摩擦を生じ、職制組合員を当面の敵と規定することが誤りであると分析していたが、昭和三四年一一月にも、同じ監視部の職制組合員二八名が脱退した。この時も、原告組合は、非職制組合員と末端の職制組合員のいがみ合いにもその原因があると分析していた。

2 昭和三六年になると、原告組合の内部から、「執行部が来ればデモ、職場大会、署名だけで、政治闘争に重点が置かれ過ぎている」「職場の要求や賃金のことなどは時々取り上げるだけで、いつもやるのは政治闘争だ」「組合幹部と一般組合員の間に溝ができ、組合活動にはついていけない」「関係団体ないし全税関及びその支部組合との統一行動の必要性は理解することができるが、統一行動だけに終始し、それと職場の要求との結び付きが不十分である」といった執行部批判が起こってきた。

昭和三七年一月九日に開かれた横浜税関の課長会(構成員は本関課長、支署長及び出張所長クラスの職制)では、神戸支部の前記役員三名が受けた免責処分を正当なものと受け止め、前年一二月に全税関が決定した一人一〇〇円の支援闘争資金の臨時カンパに反対することを決め、その旨を原告組合に申し入れた。

これに対し、原告組合は、課長会の行為は第二組合の役割を担うものであり、全税関を裏切るものであるとして、断固糾弾することを宣言した。

3 全税関は、総評がスト権奪還闘争を組むことを決めたのを受けて、昭和三七年七月末に開催した全国大会において、年間三〇〇円の闘争資金の臨時カンパを決定し、原告組合は、同年九月に開催した臨時支部大会において、全税関のこの方針を確認した。

これについても、同年一一月二九日、鑑査部の職制組合員(鑑査官)が、協約締結権もない国家公務員がいきなりスト権奪還闘争をするのは飛躍し過ぎるなどとして、文書で、闘争資金のカンパに反対することを表明したのに対し、原告組合は、これを反組合的行動であると厳しく非難した。

4 昭和三八年九月、新港地区所在の税関の貨物検査場の近くで、山下埠頭に乗り入れている貨物線の高架工事が行われることになったので、当局は、この工事に協力するため、その工事期間中、現場検査(貨物の所在場所に臨場して行う検査、原告らのいう出張検査)を実施することとした。

これに対し、鑑査分会は、現場との往復に時間がかかること、職場の意見を聞かずに強行したことなどを理由に現場検査に反対したが、職制組合員は、その反対闘争の最中に、「現場検査に反対する者は少数だ」「分会幹部の考えにはついて行けない」などと言って原告組合を脱退した。

三第二組合結成の経緯

1 昭和三八年六月末から七月一日にかけて、原告組合の支部長以下一八名の執行委員の信任投票が行われ、最高九一パーセント、最低でも七九パーセントの信任票を得て、全員が信任された。

ところが、その後、間もなくの同年一〇月一二日、課長、出張所長クラスの職制組合員二六名が集団で原告組合を脱退し、これを皮切りに脱退が相次ぎ、同年一二月一四日には、監視部の陸務課、海務課の合同巡察会議の席上、出席者一同の間で脱退が確認され、同月一九日付で一九名の脱退届が原告組合に提出された。

2 これらの脱退者は、原告組合脱退者有志一同の名で、横浜税関の職員に対し、組合のあり方について再考を呼びかける文書を配布したが、そのうちの同年一一月二九日付の「横浜税関の全職員に訴える(脱退趣意書)」と題する文書(<書証番号略>)では、前述の昭和三一年と昭和三四年の大量脱退は、組合幹部の独善的な組合運営によって、職場秩序を乱す集団的、威圧的な行動、役付職員等に対する執拗な吊し上げ的な行為等が頻発したため、組合の姿勢を正すよう組合幹部の猛省を促す意味でなされたものであること、原告組合は、神戸支部の組合分裂とそれによる新旧労組の勢力逆転の事態のもとでも、出張検査反対闘争等を指導するほか、殆ど毎日のように陸務課、海務課、宿直室、独身寮その他に職員を集めて教育し、多数のシンパと狂信的な活動家の養成に努めていること、組合指導部は、特定急進政党の方針に追従して反米を唱え、現政府及びその行政庁を常に敵と見なして妥協のない攻撃を加え、法秩序の否定―階級闘争、反米容共―政治革命を基本路線とし、当局のやることは何でも反対で、法律上、権限上、予算上当局のなし得ないことを強要すること、問題を故意に曲げて宣伝し、職員に危惧、不安の念を抱かせ、上司に反抗するような気風を醸成し、誠実真摯な執務観念を喪失させ、規律ある職場秩序を乱そうとしていること、組合費も特定急進勢力のために使われていると言っても過言でないこと、組合指導部の当局との交渉態度は、傲慢で、居丈高で、執務時間中に集団で押しかけ、マイクで怒鳴るといった職場秩序を乱すものであること等を非難、指摘すると共に、職員団体の必要は十分承知しているが、原告組合が特定の主義主張にとらわれず、現在の社会機構のもとで、職員のためを思い、税関の将来を考えて活動する健全な組合に脱皮するか、又はそのような新しい組合ができたときは、脱退者も復帰又は加入することにやぶさかでない旨の意見を表明している。

次いで配布された同年一二月二七日付の「再び職員の皆さんに訴える」と題する文書(<書証番号略>)では、原告組合が右脱退趣意書の配布を妨害し、配布済みの脱退趣意書を回収し、事実を歪曲して宣伝していること、原告組合への未加入者に対する強引で執拗な加入勧誘、原告組合員に対する集会参加、ビラ撒き、署名、カンパの強制等がなされていることを非難すると共に、原告組合の脱退者が二五〇余名に達していることを明らかにしている。

3 その後、この脱退者の有志は、富田修関税鑑査官(課長職相当)を中心として、刷新同志会(横浜税関労働組合刷新同志会)を結成した。

刷新同志会は、昭和三九年二月七日ころには、原告組合にも知られる存在になり、独自に数次にわたり機関紙(刷新同志会ニュース)を発刊するなどして、右脱退趣意書などと同様、原告組合の政治的体質を批判し、組合活動の誤りを指摘すると共に、民主的な労使関係の確立、原告組合への訣別、やがて結成されるであろう新労働組合への結集を呼びかけた。

その機関紙の記事のうち主だったものを拾うと、次のとおりである。

同年三月二四日付のもの(<書証番号略>)は、刷新同志会は、経済的地位の向上を図り、労使相互の信頼による話合いによって問題の解決を図るものであるとした上で、原告組合は、労使関係は絶対融和しない関係にあり、両者の間には喰うか喰われるかの階級闘争しかないという考えに立つものであり、その結果、経済闘争を政治闘争に従属させ、職場秩序を破壊し、職員に反目を起こさせるといった誤った職場闘争、話合いと称する吊し上げ、デモ、集会への強制動員、平和運動と称する反政府活動、組合費とカンパの組合せによる多額の金銭の吸い上げ等をしている旨の批判を掲載している。

同月二七日付のもの(<書証番号略>)は、全税関ないし原告組合の見解は、国家行政を麻痺、混乱させ、公務員に反政府思想を植え付け、行政の麻痺と混乱によって国民大衆に政府への不信と反抗の気持ちを起こさせるものであると批判した全税関脱退者の投稿を掲載している。

同月三〇日付のもの(<書証番号略>)は、「カンパで中共参りか 全税関神戸支部長」との見出しで、神田綽夫神戸支部長が中共(中国)から招待されて渡航することについて、アメリカに組合幹部が招待されて骨抜きにされるのが、ケネディ、ライシャワー路線というなら、中共のは何か、ソ連や中共に招待されて骨抜きにされるのは、フルシチョフ、毛沢東路線といえるであろう、との論評を掲載している。

同年四月一四日付のもの(<書証番号略>)は、同志会の作る新労は、当局の手先でも御用組合でもない、労働組合である以上、当局と対決するのは当然であり、経済的要求、職場条件の向上に向かって闘う、しかし、すべて力関係で決めるという旧労とは闘い方が完全に違う、互いにルールを守り、すべて話合いで解決することを目標とするとの解説を掲載している。

同月二一日付のもの(<書証番号略>)、同月二四日付のもの(<書証番号略>)、同年五月四日付のもの(<書証番号略>)は、「若い職員を赤い魔手から守ろう」との見出しで「民青同の実態をつく」と題したシリーズを掲載し、日本共産党と民青同に対する警戒を呼びかけ、その見解や行動に対する批判を展開している。

4 このような推移を経て、ついに昭和三九年五月九日、横浜税関に刷新同志会を母体とする本件第二組合(横浜税関労働組合、通称「横浜労組」、初代執行委員長は富田修関税鑑査官)が結成され、これに伴い、刷新同志会は発展的に解消された(本件組合分裂)。

その直後から、本件第二組合にも職場ごとに分会が相次いで結成された。また、刷新同志会に引き続き、本件第二組合も機関紙を発行し、同組合の同年六月一日付組合ニュース(横浜税関労働組合ニュース)(<書証番号略>)は、原告組合を「赤い豚」と蔑称し、原告組合員に本件第二組合への加入を呼びかける記事を掲載している。

5 原告組合からの脱退は、本件第二組合結成後も、集団で、続々と行われた。この一連の脱退は、上位の課長クラスから係長クラスの職制組合員、非職制組合員へと裾野を広げるように波及していき、その脱退者は、昭和三八年一〇月から昭和三九年九月までの一年間で七三九名(職制組合員二一五名、非職制組合員五二四名)に達し、殆どは本件第二組合に加入した。

さらに、本件第二組合は、新規採用職員を対象に、昭和三九年度以降、入関直後に実施される新人研修(昭和四〇年度以降は税関研修所における基礎科研修)の終了時を狙って、加入の勧誘を目的とした新人歓迎会や歓迎バス旅行を企画し、その中で、殆どの新規採用職員を加入させていたので、本件第二組合の組合員は飛躍的に増加した。

一方、原告組合は、脱退が相次いだ上に新規加入者がなかったため、昭和三八年七月に約一三〇〇名であった組合員が、昭和三九年七月には五九六名に、昭和四九年の本訴提起時には前述のように一九六名にまで減少した。

6 昭和三九年五月、本件第二組合と神戸第二組合とによって税関労協(税関労働組合全国協議会)が結成され、昭和四〇年二月には、長崎、東京、名古屋、大阪の各税関に、三月には函館税関に、五月には門司税関に、全税関の支部組合から脱退した職制を中心とする第二組合が相次いで結成され、同年九月には、全国八税関の第二組合によって税関労連が結成された。これに伴い、税関労協は発展的に解消された。

その結果、昭和四〇年には、既に税関労連の組合員数は全税関の組合員数を上回り、昭和四五年には、税関職員約七五〇〇名中、税関労連の組合員は約五八〇〇名で、全税関の組合員は僅か七一二名となった。

これら第二組合は、昭和四二年一二月から昭和四四年六月にかけて官公労(全日本官公労働組合協議会)に加入した。官公労は、これに先立つ昭和三九年一一月、全労(全日本労働組合会議)及び総同盟(日本労働組合総同盟)と共に同盟(全日本労働組合総同盟)を結成していた。

原告組合は、職制組合員の集団脱退から本件第二組合の結成に至る事態を当局による組合分裂工作によるものであるととらえ、支部ニュース等において、その主導者である職制組合員や本件第二組合を分裂主義者、御用組合、当局の手先と非難し、組合員の結束による反撃を訴え、前述の脱退趣意書等で脱退者が原告組合に対して加えている非難について反論し、脱退者に対して原告組合への復帰を呼びかけた。そして、昭和三八年一〇月一三日と同年一二月一八日の武藤税関長との交渉において、原告組合員に対して脱退をそそのかし、原告組合に対するアカ攻撃をする等の不当労働行為を中止するよう申し入れた。

これに呼応して、同月一八日、県評議長から税関長に対し、分裂策動を中止するようにとの申入れがなされ、昭和三九年二月二五日、衆議院予算委員会第一分科会においても、横浜税関における右事態について質問がなされた。しかし、当局(関税局及び各税関)は、脱退は本人の自発的意思に基づくものであるとして、当局の関与を終始一貫して否定した。

第四章当局の全税関対策

第一基本方針

関税局及び各税関当局は、全税関の過激な政治闘争、合理化反対闘争等の組合活動及びそれを支える各種の活動を、税関の職場秩序を乱し、正常な業務運営を阻害するものと判断し、これを規制するため、全国的に統一した方針に基づき、種々の対策を協議し、これを実行した。これらの措置が、当局の統一的方針に基づくものであることは、以下に述べるとおり、庁舎管理規則の制定、施行、当局幹部の各種会議における講演、挨拶等及びいわゆるマル秘文書(原告らのいう東京税関謀議文書、関税局謀議文書、宍戸メモ等)の記載等から明らかである。

以下、順次検討する。

第二庁舎管理規則

一庁舎管理規則制定の経緯

昭和三四年一二月から昭和三五年にかけて、全国の各税関に相次いで庁舎管理規則が制定、施行された。

同じころ、横浜税関においても同規則の制定が検討されていたが、原告組合は、これを原告組合の弾圧を狙ったものであると受け止めて、反対闘争を展開し、安保反対神奈川県民会議等もこれを支援した。昭和三四年一二月以降、原告組合は、同規則を巡って当局と幾度か交渉し、昭和三五年一月七日には、右県民会議の地評議長、港湾労協議長、国公共闘事務局長らも加えて税関長と交渉をした。その交渉における両者の応酬を伝える支部ニュース(同月九日版)(<書証番号略>)は、組合側が、従来は同規則がなくても問題がなかったのに、あえてこれを制定しようとするのは、組合活動の弾圧を意図するからにほかならないと述べて、同規則の制定に反対したのに対し、税関長が、同規則は正常な組合活動に適用することはないが、大勢で押しかけて一人を吊し上げるなどという行為が正常な組合活動であるとは認められないと答え、さらに、これに対し、組合側が、吊し上げは行われているが、そうする原因を分かって欲しいと述べたことを伝えている。

二庁舎管理規則の内容

1 こうした反対運動の中で、昭和三五年一月二五日、横浜税関に本件庁舎管理規則(横浜税関庁舎管理規則、昭和三五年達四号)が制定され、同年二月一日から施行された。

同規則は、第一章総則、第二章庁舎等の管理、第三章災害の予防及び第四章雑則から成り、規定する事項は多岐にわたっている。

第一章では、会計課長、支署長、出張所長等を、庁舎(同規則二条に規定する「横浜税関の組織に属する行政機関において、日常の業務の用に供する建物、土地、船舶その他の施設」をいう。)の特定部分ごとの管理者に指定し、これらの者に庁舎の管理権限を分掌させている(四条)。

税関の庁舎(建物、敷地その他の施設)は、国有財産法三条に規定する国において国の事務又は事業に供する公用財産たる行政財産であり、その管理権は、同法五条の規定により、当該税関の長たる税関長に属するものであるが、同法九条一項、同法施行令六条(昭和三九年以降は、同年大蔵省訓令第一号)の規定に基づき、本件庁舎管理規則においては、右のとおり会計課長等に分掌されることとしたものである。

第二章では、庁舎の管理者は、庁舎の秩序及び災害の防止並びに職員の保健、安全保持に努めなければならないこと(六条)、職員が講堂及び会議室を使用しようとするときは、あらかじめ管理者の承認を受けるものとすること(七条)、管理者は、職員の休息又は休憩のため、屋上及び構内の広場等(屋上等)を使用させることができ、この場合、屋上等に設けられた施設又は器具の使用を伴うものであるときは、あらかじめ管理者の承認を受けさせるものとすること(八条)、管理者は、職員の囲碁、将棋、生け花その他レクレーション活動のため、娯楽室等を使用させることができ、職員が娯楽室等を使用するときは、あらかじめ管理者の承認を受けるものとすること(九条)、管理者は、庁舎を目的外に使用するものがある場合、又は庁舎において、物品の移動販売、宣伝、勧誘又は寄付の募集その他これに類する行為をしようとする者があるときは、許可を受けさせるものとすること(一〇条、一一条)などを規定している。

さらに、これらの場合、管理者は、庁舎の使用の承認若しくは許可に必要な条件を付し、又は関係者の守るべき事項を指示することができること(一六条二項)、管理者は、職員への面会の強要、建物その他の施設の破壊等の行為、たき火等火災予防上危険を伴う行為、座り込みその他通行の妨害となるような行為、金銭その他物品等の寄付の強要、業務の妨害、同規則に違反する行為をし、又はこれらの行為をしようとする者があるときは、その行為を禁止し、又は庁舎から退去を命ずることができること(一八条一項)、管理者は、庁舎において、銃器、凶器、爆発物その他の危険物の持込み、旗、のぼり、宣伝ビラ、プラカードの類及び拡声器、宣伝カー等の持込み、所持又は使用、文書、図書等の頒布又は掲示、放歌、高唱し又はねり歩く行為をし、又はこれらの行為をしようとする者があるときは、その行為を禁止し、又は庁舎から退去を命ずることができること(同条二項)等を規定している。

第三章には、火気の使用、喫煙の場所、設備の保安試験、船舶の管理基準、船舶への便乗、避難及び救護、巡回、管理者の巡察等に関する規定を置き、第四章には、掃除及び清潔、門の開閉、火気の点検、発火防止、施錠、通報、倉庫等への出入り禁止等に関する規定を置いている。

2 昭和三九年に、同規則中の掲示に関する規定が改正され、管理者が指定した掲示板以外の場所における掲示を禁止すること(一三条の二)、掲示をするには管理者の承認を要すること、ただし、職員団体が職員団体用に指定された掲示板に掲示する場合はこの限りでないこと(同条の三)、法令に違反するもの、税関の業務の円滑な運営を阻害し、又は阻害する虞れのあるもの、税関の信用を傷付け、又は傷付ける虞れのあるもの、職員を誹謗し、又はその名誉を傷付け若しくは不快の念を起こさせるものの掲示を禁止すること(同条の五)、管理者は、庁舎管理規則に違反する掲示があるときは、掲示責任者又は掲示を行った者に撤去を命ずることができ、撤去を命じても掲示責任者若しくは掲示を行った者が撤去しないとき、又は掲示を行った者が不明であるときは、自らこれを撤去することができること(同条の六)等の規定が設けられた。

三庁舎の目的外使用の基準

1 昭和四〇年一二月二七日、当局により、庁舎等の目的外使用についての使用基準が定められた(<書証番号略>)。

この基準では、目的外使用を認める時間は、平日は午後八時まで、土曜日は午後五時までとし、日曜祭日の使用は認めないこと、目的外使用を認める範囲は、①講堂は、卓球部の練習又は試合で執務時間外に行われるもの、本件第二組合及び原告組合の規約に基づく大会(ただし、官公庁の友誼団体からの来賓若干名以外の第三者の出席がある場合は許可しない。)及びその他当局が適当と認めたもの、②会議室は、第二食堂の使用許可の範囲である歓迎会及び親睦会で、同食堂が輻輳し会議室で行うことがやむを得ないと認められるもの、③第二食堂は、人事異動に伴う会合で、係長以上を含む者を申請者とし、食事を伴うもの、職員を単位とする親睦会で、役付職員が使用責任者となり、かつ職員相互の親睦を目的とするもの、又は厚生課において認めているサークルの行う会合で、その長が使用申請者となり、かつ会合の目的が当該サークルの活動上必要で妥当と認められるものとし、④事務室及び公衆溜まりは、個々に決定するものとすること等が定められた。

2 この使用基準は、昭和四二年一月九日に改正された(<書証番号略>)。

改正後の使用基準では、目的外使用を認める時間は、平日は午後八時まで、土曜日は午後五時までとし、日曜祭日及び早朝勤務時間前の使用は認めないこと、目的外使用を求める範囲は、②講堂は、公務に支障を来さない範囲での会合及びレクレエーション、③会議室は、公務に支障を来さない会合(ただし、川崎支署は公務に支障があるので認めない。千葉支署は点灯時までを使用限度とする。)、④食堂及び喫茶室は、昼食時間を除き歓迎会、懇親会等の会合で食事を伴うもの(右のほか、本関第二食堂では、日本間で行うことが適当と認められるサークル活動、新港分関及び川崎支署では、昼食時間を除き会議室の代替としての会合)、⑤屋上及び敷地(庁舎の出入口付近等公務に支障を来す虞れがある場所を除く。)は、会合及びレクリエーション(ただし、千葉支署の屋上は、他官庁の設備があるので認めない。)、⑥検査場は、公務に支障を来さない範囲でのレクリエーションであるとし、事務室及び公衆溜まりは、使用を認めないこと(ただし、新港分関、川崎支署、高島埠頭出張所、瑞穂出張所、外郵出張所及び日立出張所は、庁舎事情が改善されるまでの間、事務室及び公衆溜まりのうち指定の場所を公務に支障を来さない範囲で暫定的に認める。)等が定められた。

四庁舎管理規則制定の意図

1 本件庁舎管理規則は、その趣旨を庁舎の管理に必要な事項を定めるものと規定しており(一条)、各規定も管理に必要な事項であって、原告組合の組合活動だけを適用の範囲とするものでないことは勿論であるが、主要の規定が庁舎の秩序維持に関するものであること、同規則制定及び改正当時、全税関の組合活動以外に同規則を緊急に制定して規制しなければならないような事情はなかったこと、その他本件の経過に鑑みると、同規則が当時の原告組合の組合活動若しくはこれに伴って生ずることが予想される行為の規制を狙ったものであることは、容易にこれを認めることができる。

2 原告らは、当局は、本件庁舎管理規則の制定に当たり、原告組合に対し、その組合活動には適用しない旨約束し、その後、昭和四〇年一二月までは、事務室や公衆溜まりで行う職場大会などの組合活動に対しても、同規則を適用しなかったと主張する。

しかしながら、そのような約束をしたことを直接認め得る証拠はない。また、当局が昭和四〇年一二月まで原告組合の組合活動に対して積極的に同規則を適用しなかったことは、被告も積極的に争わないが、これは、その制定の経過や当局と原告組合との力関係からみて、直ちに同規則を適用することにより却って職場秩序に混乱を招き、業務の運営に支障を来すことを懸念したからであり、その後、同規則を積極的に適用するようになったのは、当局側の体制が整備され、原告組合は大量の脱退者を出したことから、力関係が逆転し、原告組合の抵抗を排除して同規則を適正に実施することができると判断したからであるとみられるから、当局が一時期同規則を積極的に適用しなかったからといって、当局が原告組合の組合活動には同規則を適用しないと約束したことが推認されるものでもない。むしろ、前述のように、昭和三五年一月七日の税関長と原告組合側(安保反対神奈川県民会議)との交渉経過を伝える支部ニュースの記事は、税関長が、同規則は正常な組合活動の規制を意図するものではないが、違法な組合活動に対しては、これを適用して規制することがあり得ると述べたことを伝えているのである。

原告らは、当局は原告組合の組合活動を弾圧するために同規則を制定したと主張する一方で、その当局が原告組合の組合活動には同規則を適用しないと約束したと主張するのであるが、これは、主張自体矛盾していると思われるし、前述のように、当局は原告組合対策のために同規則を制定したのであるから、その当局が自ら、原告組合の組合活動であればどのような行為であっても適用しないなどと約束するはずもないのである。

五庁舎管理規則の適法性

1 一般に、庁舎の管理者は、庁舎における規律を保持しつつ、適正円滑な業務の運営を確保するため、その庁舎管理権に基づき、これを利用する職員等に対し、具体的に指示、命令することができ、または一般的に庁舎管理規則を定めて、庁舎の利用を管理者の許可、承認にかからしめ、一定の行為を禁止し、許可、承認に関する手続を設け、これらに違反する者に対して、当該行為の中止、原状回復等必要な指示、命令を発し、これに従わない場合には相応の措置をとることができるものと解すべきである。

本件庁舎管理規則は、庁舎管理者としての横浜税関長がその権限に基づいて制定したものであり、その内容に不合理な点はない。

2 原告らは、本件庁舎管理規則は、原告組合の組合活動を弾圧するために制定されたもので、憲法で保障された労働者の団結権を侵害するものとして、違憲、違法であると主張する。

しかしながら、憲法二八条が勤労者に保障する団結する権利及び団体交渉をする権利その他の団体行動をする権利は、一定の事業所に勤務する勤労者又は当該事業所に勤務する勤労者で構成する労働組合に対し、右権利実現のために当該事業所の施設を当然に利用する権利までも保障するものではない。税関職員が、税関の庁舎(施設)において行う組合活動は、庁舎管理権者の有する庁舎管理権に服し、税関の秩序を守り、業務の運営に支障を及ぼさない限度において許されるものであって、右憲法が保障する権利は、税関の秩序を乱し、業務の運営を妨げる組合活動までも保障するものではないことは、当然である。

本件庁舎管理規則は、その制定の経緯からして、まず過激化した原告組合の組合活動の規制を狙ったものであることは明らかであるが、これは、横浜税関の庁舎において行われることが予想される、税関の秩序を乱し、業務の運営を妨げることとなる態様の行為を規制するものであり、原告組合の組合活動であるとの一事をもって、これを規制するものでないことは、同規則の規定そのものから明らかである。したがって、同規則が、憲法で保障している原告組合又は原告組合員の権利を侵害するものとは認め難く、この点に関する原告らの主張は、採用することができない。

第三当局幹部の発言

当局の全税関対策の内容は、当局の幹部らの次の各種会議等における発言等からも窺うことができる。

例えば、①昭和三七年六月開催の関税局の管理職員科研修(各税関の総務課長、管理課長が出席)における武藤謙次郎同局総務課長(後の横浜税関長)の発言(<書証番号略>)、②同年九月開催の全国税関総務部長会議における稲田関税局長の挨拶(<書証番号略>)、③昭和三九年一月に長崎税関長に就任した山本税関長の就任に抱負を伝える新聞記事と同人が作詩した替歌「税関一代」の一節(<書証番号略>)、④同年五月二五日付「普通科研修生の推薦について」と題する税関研修所神戸支所金田幹夫教務主任の神戸税関関係部署あての推薦依頼書(<書証番号略>)、⑤昭和四〇年七月の武藤横浜税関長の離任の挨拶(<書証番号略>)、⑥同年一〇月二五日の普通科研修教養講座における角横浜税関総務部長の講義(<書証番号略>)、⑦昭和四一年九月の横井正美東京税関総務部長の離任の挨拶(<書証番号略>)、⑧昭和四四年一月の建設省の労務研修会議における森本保雄関税局総務課長補佐の「全税関における労務管理について」と題する報告(<書証番号略>)等であり、これらは、多少誇張のあるものもあるが、概ね原告ら主張の内容にそうものである。

これらの発言等は、当局(関税局及び各税関当局)の幹部の地位にある者が、全税関の組合活動を規制する必要があることを示唆し、実際にこれを規制してきたこと及びその具体策を紹介するものであり、昭和三〇年代半ば以降過激化した全税関の組合活動に対する後述の各種規制が、規制に当たる末端の職制や各地の税関単位での判断に基づくものではなく、関税局の指示に基づいて全国的に行われたものであることを示すものである。

第四マル秘文書

一東京税関会議資料及び関税局会議資料

1 同様のことは、東京税関会議資料及び関税局会議資料(原告らのいう東京税関謀議文書、関税局謀議文書)にも記載されている(これらの文書に原告ら主張の記載があることは争いがない。)。そのうち、東京税関会議資料とは、昭和四二年三月から昭和四七年一二月までの間に、東京税関において開催された二十数回の部長会議、部署所長会議、幹部会議及び支署長出張所長会議等各種会議の議事録及びその資料とその事前準備の資料とみられる一群の文書である(<書証番号略>)。また、関税局会議資料とは、昭和五八年九月から昭和六一年四月までの間に、関税局主催で開かれた数回の税関長会議、各税関総務部長会議及び人事課長会議の議事録、その資料及びそれらに関連する関税局長の挨拶案とみられる一群の文書である(<書証番号略>)。

2 右各文書の用紙、文書の取扱基準を示す「人事秘密」、「取扱注意」等の押印、文書作成担当者を始めとする所管部課長、税関長らの官職氏名、閲覧印、垂水税関局長の自筆とみられるサイン等の形状、文書の記載内容、成立についての特段の反証がないこと等に照らすと、概ねそれらは、東京税関又は関税局の所管部局が起案し、関税局長、税関長等の所管部局長の検閲を受けた文書であって、それぞれ東京税関当局及び関税局において作成されたものと認めることができる。

3 右によれば、右各文書に記載された東京税関及び関税局の各種会議等において、関税局長、税関長その他の幹部が、全税関対策又は全税関の組合活動を睨んだ職員一般を対象とする対策として、右各文書に記載された内容(前述のとおり、右各文書に原告ら主張のとおりの記載があることは争いがない。)について協議し、検討していたことが認められる。ただし、関税局会議資料は、本件係争期間を大分経過した後の会議等について作成されたものであるから、本件係争期間及びそれより前の事情を直接示すものではないが、間接的にその当時の当局の全税関対策を推認させるものである。

二横浜税関関係文書

(宍戸メモ、横浜税関予算要求文書、横浜税関人事課長文書)

1 宍戸メモ(<書証番号略>)とは、昭和四七年六月当時横浜税関山下埠頭出張所輸出通関第二部門総括審査官であった宍戸獻吉郎の私物ノートに同人がその当時記載したメモである。宍戸メモには、原告ら主張のとおりの記載があり、右メモと証人宍戸獻吉郎の証言によれば、同人所属の山下埠頭出張所の課長会において原告組合対策が検討され、当局が、職制に対し、原告組合ないし原告組合員の動向の把握、原告組合員のリボン、プレート着用への対応、昇任等についての問い質し行動への対応、現認書の作成上の留意事項、原告組合からの脱退勧奨についての留意事項等を詳細に指示していたことが認められる。

2 横浜税関予算要求文書(「昭和四八年度税関予算の執行に関する要望について」と題する書面)(<書証番号略>)は、その方式及び趣旨に照らして、関税局の会議用に横浜税関当局の総務会計部門が作成したものと推認することができる。その中には、「士気高揚対策経費」について、横浜税関では、従来、これを直接間接労務対策費(初級管理者、レク指導者等職務の内外における各種管理者の研修指導育成、レク行事・サークル活動等の補助等)として使用し、厚生経費とは別との考え方で運用してきたので、今後も、配賦を希望する旨が記載されている。

3 横浜税関人事課長文書(「昭和五一年七月期の特別昇給発令予定者について」と題する文書)(<書証番号略>)は、横浜税関人事課長長谷川吉雄作成名義の昭和五一年七月一五日付各出張所あての事務連絡文書であり、その方式及び趣旨に照らして、同人事課長が作成したものと推認することができる。その中には、原告ら主張の記載があるが、これは本件係争期間後の対策について作成されたものであるから、本件係争期間及びそれより前の当局の原告組合対策を直接示すものではない。しかし、先の関税局会議資料と同様にその当時の当局の全税関対策を間接的に推認させるものである。

4 以上の横浜税関関係の各文書によれば、横浜税関においても、当局によって、関税局会議資料及び東京税関会議資料に示されるのと同趣旨の原告組合対策が指示されていたことを認めることができる。

第五章原告組合の活動に対する具体的規制

第一従前の労使関係の見直し

一武藤税関長の就任と規制の強化

昭和三八年六月一日、横浜税関長に武藤謙次郎が就任した。同人は、関税局総務課長として、全税関対策の総指揮をとっていたが、神戸支部対策が一段落したことから、当時最も過激な組合活動をしていた原告組合の組合活動を規制し、職場秩序の回復とこれによる業務運営の正常化を図るとの期待を担って赴任したものである。以後、昭和四〇年七月に離任するまで、精力的に原告組合対策を実施したが、そのために、原告組合と当局との労使関係は急速に悪化し、決定的に対立することになった。

二婦人室及び図書室の管理の取上げ、海務課更衣室の改造

(<書証番号略>、原告小泉、同成尾、同吉田各本人尋問の結果)

1 従前、図書室は、原告組合が当局から図書の貸出等を含め、その管理も委ねられ、運営委員を置いて管理しており、婦人室も事実上、原告組合が管理していた。海務課の更衣室は畳敷きで、周囲の壁際にロッカーが並べられていたが、中央が部屋として使えるものであった。このため、原告組合は、これらの部屋を集会等の組合活動の場に利用してきた。昭和三六年の消防法施行令等の施行により防火責任者の明確化が図られ、これを制定していたが(<書証番号略>)、昭和三八年に横浜税関川崎支署が全焼し、さらに横浜市内の税関紅葉山寮で小火を出したこともあって、横浜市消防局から、防火責任体制の整備を強く要請されるに至った。そこで、当局は、庁舎管理者として防火責任体制を確立する必要から、原告組合に対し、図書室と婦人室の管理の返還を求め、同年一〇月に本関婦人室の、同年一一月に本関図書室の各管理を取り上げた。当然のことながら、これにより、図書室と婦人室の本来の目的による使用が制限されることはなかった。

また、当時、当局は、原告組合から人員増に伴うロッカーの増設、二人用ロッカーの一人用ロッカーへの変更を求められており、当局としても、木製ロッカーからスチール製ロッカーへの転換と、運転手詰所が手狭になったことによる部屋割りの見直しを検討していた時期であったので、その対策として、更衣室の床をコンクリートにして簀の子を敷き、着替えができる程度の空間を残してロッカーを部屋一杯に設置した。

これらの措置は、当局にとってかねてからの懸案であったが、原告組合の組合活動の拠点になっていた場所に関することであったため、過激な組合活動の中でこれを実行することによって混乱が生ずることを恐れて躊躇していたものである。しかし、これらの場所での組合活動は、本来許されるべきものではないので、武藤関税長の決断により、原告組合対策も兼ねて実行に移したものである。

2 原告らは、当局の右行為は、労使の慣行を無視し、これらの場所で行われていた原告組合の組合活動を規制し、原告組合を弾圧するものであると主張する。

しかしながら、右に述べたとおり、当局の措置は、庁舎管理の必要からその権限に基づいて行われたものである。これらの場所は、組合活動の許される場所ではないから、原告ら主張の慣行の成立する余地はない。したがって、結果的に原告組合の組合活動が制約されることになっても、これをもって、当局の右措置を違法であるということはできない。

三勤務中の組合活動の規制

1 従前、原告組合の執行委員会、評議委員会及び監視分会の分会委員会は、勤務時間中に開かれており、執行委員等の役員は、年休をとらずにこれに出席していた。

このため、当局は、昭和三九年五月、原告組合に対し、勤務時間中の右会議等に出席する場合には、年休をとること及び年休をとらずに出席した場合には欠勤扱いにすることを通告した。

2 原告らは、当局のこの措置を労使の慣行を無視するものであり、原告組合の組合活動に対する不当な制限であると主張する。

しかしながら、国家公務員は、勤務時間中職務に専念する義務を負うものであるから、仮に、当局がかつて勤務時間中の執行委員会等への出席を黙認していたことがあったとしても、それが違法であることは明らかであるから、これにより勤務時間中の執行委員会等への出席を認める労使慣行が成立する余地はない。

同年九月の臨時行政調査会の内閣総理大臣に対する行政改革に関する意見の中でも、公務員の勤務時間を厳正に管理し、勤怠を明確にし、特段の理由のない欠勤、遅刻、早退等については相当分を俸給からカットすることの励行が求められているところであり、当局の右の措置は、もっと前から行われるべきものであって、何の違法の点もないものであるから、これにより、結果的に原告組合の組合活動が制約されることになっても、やむを得ないことである。

四団体交渉の回数の減少

1 従前、原告組合執行部と当局とは、多いときは年間三十回にも及ぶ交渉、折衝等を行い、その他にも、分会単位で多数回の交渉、折衝等を行っていた。ところが、昭和三七年ころから、次第にその交渉等が少なくなった。この間の事情を、原告組合の同年八月五日付支部ニュース(<書証番号略>)、同月二四日の当局との交渉で税関長が出席しないことをなじったところ、総務部長が「組合の実態が変わったからだ」と答えたと報じており、昭和三八年四月六日の監視分会と監視部長との交渉の経過を報じた監視分会報「かんし」(<書証番号略>)は、ようやく開かれた交渉であるのに、監視部長が関税局、横浜税関総務部を中心とした統一見解を繰り返すのみで交渉が時間切れとなったと不満を述べ、監視部長も、四月にはもうこれ以上会わないと不満げに述べたことを報じている。

武藤税関長就任後は、昭和三八年六月七日、一〇月一三日と一二月一七日ころの各税関長交渉、昭和三九年一月七日の関税局長交渉(全税関との交渉に原告組合が出席したもの)、二月一一日、四月一三日、六月中旬と八月の各税関長交渉(八月は総務部長が代理)、一〇月七日の関税局長交渉(全税関との交渉)、一二月一六日の総務部長交渉といった頻度で行われるようになった(<書証番号略>、原告小泉本人尋問の結果)。

2 原告らは、当局が従前のように交渉に応じないことをもって、労使慣行を無視したものであると主張する。

しかしながら、前述のように、当時の原告組合の交渉に対する基本的姿勢は、組合による業務管理を標榜して、「合理化に反対し、一切を事前に協議させ、あらゆる要求を官につきつけ、組合の意見を容れないときは断固これを拒否する」というものであり、その交渉態度も、交渉というより吊し上げというべきものであったから、当局との一致点がなく、交渉回数も増えていたものであり、その後、交渉回数が減少したのは、当局がこうした交渉のあり方を是正しようとして、必要最小限のものだけに絞った結果である。さらに、昭和四一年六月以降は、国公法の改正により、国の事務の管理及び運営に関する事項が交渉の対象から外されたこと(一〇八条の五第三項、四項)も影響したものと推認することができる。したがって、これをもって、労使慣行を無視したものであるということはできない。

五厚生委員会の改組

1 従前、横浜税関には、レク(レクリエーション)計画や厚生経費の配分を協議する厚生委員会があり、原告組合からも五名が、同委員会に参加していた。

昭和三九年六月、当局は、この厚生委員会を改組して、委員長の総務部長を始め、会計課長その他関連の本関、支署及び出張所の課長、係長ら一七名を厚生委員とし、そのうちの二名を、原告組合代表(支部長)、本件第二組合代表(執行委員長)とした(<書証番号略>)。

2 原告らは、この改組は、厚生活動に対する原告組合の影響力を排除するために行ったものであると主張する。

しかしながら、当時は、既に厚生委員会の改組前の同年四月に、人規一〇―六(職員レクリエーションの根本基準)が制定され、改組直後の昭和四〇年二月には、総理府により、各省庁に対する「職員のレクリエーション行事の実施要領」(総人局九三)が定められ、同年五月には、国公法の改正により、各省庁の長が職員の勤務能率の発揮及び増進のために計画を立てて実施すべき事項の一つとして、職員のレクに関する事項が規定される(七三条一項三号)など、横浜税関当局のみならず、各省庁においても、レク行事その他職員の福利厚生の重要性が改めて認識され始めた時期である。横浜税関においても、昭和四一年七月には、「横浜税関山手プール使用要領」が制定され、管理人等の設置、管理人等の業務及び権限等が定められている(<書証番号略>、原告吉田本人尋問の結果)。右厚生委員会の改組は、これらの趣旨に則り、レク行事その他職員の福利厚生の充実の一環として行われたものであり、原告組合、本件第二組合ともその代表者がこれに参加しているのであるから、これをもって、厚生活動から原告組合の影響力を排除するために行ったものということはできない。

3 原告らは、原告組合員は、レク行事やレクリーダー、プールの監視員等から全く排除されたと主張する。

東京税関会議資料からみられる当局のレク行事、レクリーダー対策からすれば、横浜税関においても、同様の対策を考慮していたとは考えられるが、本件係争期間及びそれ前に、原告組合員がどのようにそれらから排除されたのか具体的な事実関係が明らかでなく、むしろ、当局と激しく対立していた昭和四二年においても、一〇月に開催された全国税関水泳大会に、一四名の代表選手中二名(うち一名は女性で女子の部の唯一の代表選手)の原告組合員が出場しているように、原告組合員の数や年齢構成からすれば、それなりの処遇を得ているとみられる事実も認められるのであるから、原告らの右主張はにわかに採用し難い。

六その他

右のほか、原告らは、当局が労使慣行を無視したものとして、組合掲示板の無断移動や使用制限、原告組合又は当該原告組合員の同意のない配転、税関施設の使用拒否などの事実を主張するが、この点については、関連事項と共に、後に項を改めて詳述する。

第二職員の組合選択に対する当局の態度

(<書証番号略>、証人宍戸獻吉郎の証言、原告栗山、同和久野、同小泉、同吉田、同菊池各本人尋問の結果)

一原告組合からの脱退と原告組合への加入

1 職制組合員は、武藤税関長就任以降、当局から職制を集めた会議等において、職制としての立場を自覚した行動をとるよう厳しく要求され、昭和三八年一〇月以降、集団で続々と原告組合を脱退した。そして、脱退した職制組合員は、他の職制組合員や部下の非職制組合員に対して原告組合を脱退するよう勧告した。その過程では、特に組合への帰属意識の強い個人原告らに対しては、原告組合にとどまっている限り、昇格、特別昇給等をすることはできない、脱退すれば、それが実現するように取り計らうなどといった強い調子での説得も行われた(他の原告組合員に対しても程度の差こそあれ、脱退の説得が行われたことは推認するに難くない。)。

2 深田七郎(昭和四〇年第二組合脱退、原告組合加入、以下括弧内は、本件第二組合を脱退し、原告組合に加入した年を示す。)、原告本多(昭和四一年)、田中光雄(昭和四四年)、鈴木克己雄(昭和四六年)、今井康夫(同年)、原告菊池(昭和四七年)、佐藤紀幸(昭和五〇年)らは、入関当初本件第二組合に加入し、その後同組合を脱退して原告組合に加入したが、その際、直属の上司や総務課長らは、その脱退、加入は昇進に不利になるからと言って思いとどまらせようとした。殊に、深田の場合には、鑑査部長らが、深田の父と兄を呼び出し、深田は赤の分子に操られているなどと言って、説得を依頼し、父や兄を通じて深田の脱退加入を思いとどまらせようとした。

3 原告らは、当局の右行為によって、原告組合からの脱退者が続出するとともに、新規加入者がなくなったと主張する。

しかしながら、繰り返し述べることになるが、原告組合は、もともと、横浜税関における唯一の職員組合であって、職員の殆どは、入関と同時に自動的に原告組合に加入していた関係で、職制組合員の占める割合が極めて高く、従来から、組合活動のあり方を巡って、職制組合員と非職制組合員とが対立し、また、非職制組合員で構成されている執行部に対する職制組合員からの批判もあり、職制組合員が集団で脱退するといったことが幾度か生じていた。その上、原告組合は、昭和三〇年代半ばの安保改定反対闘争を契機として、組合活動として政治闘争を行い、さらに、横浜税関の業務運営は原告組合の意向に基づいて行われるべきであるとして、その要求を通すために、当局の事前の警告や現場での中止命令、職場復帰命令等を無視して、勤務時間中に、庁舎内で職場大会、デモ、抗議行動を繰り返し、その規制に当たる職制を大勢で取り囲み、大声でなじる、罵る等のいわゆる吊し上げをするといった実力闘争を行うようになり、しかも、これを批判する組合員を反動的であるとして徹底的に叩き、批判勢力を抹殺しようとしていた。

こうしたことから、職制組合員を中心として、原告組合のあり方に批判的な組合員が増え、これが刷新同志会の結成、原告組合からの大量脱退、本件第二組合の結成へと発展していったものであって、この現象は、税関だけに独自のものではなく、当時の労働界全体の状況を反映したものであったのである。

したがって、武藤税関長就任以後の職制組合員の大量脱退に始まる一連の脱退は、右のような内外に生じた諸事情のもとで、各組合員が税関機構における自己の職責を自覚した結果であって、当局の脱退要求ないし脱退勧告は、その自覚を促したものとみるべきである。

4 原告らは、当局の右脱退要求ないし脱退勧告は、原告組合の組織破壊を目的とした違法行為であると主張する。

税関の業務は、ひとり輸出入関係者だけでなく、国民全体の経済生活、健康及び安全に直結し、我が国の経済の発展にも多大な影響を及ぼし、ひいて我が国の国際的信用にもかかわるものであり、この意味で、この業務を行う税関は、極めて公共性の強い行政機関である。このため、関税法は、税関長や税関職員に、貨物の輸出入の許可権限、外国貿易船等及び貨物の取締権限、貨物の輸入者等への質問検査権、関税等の賦課徴収と滞納処分権限、反則事件の調査、処分権限等を付与しているほか、一定の場合に小型の武器の携行、使用さえ許しているのである。

こうした税関の目的や機能の特殊性に鑑み、税関及びその職員に対しては、一般の官公署及びその職員よりもより一層の規律の保持と、その規律の上に立った公平、適正かつ円滑な業務の遂行が要請されているのである。

ところが、前述の原告組合の組合活動は、国公法や人規の規定に反するだけでなく、右税関の目的、機能及び税関職員の職務内容に照らしても、極めて不当なものであることは明らかであるから、当局が、職員、特に職制の地位のある原告組合員に対し、これが違法不当であることを周知させてその自覚を促すとともに、部下に対する監督を厳重に行い、それらの者の違法行為の防止と排除を行うことを強く要求するのは、当然の措置であるというべきであり、この点で、正当な組合活動に対する使用者の支配介入とは全く様相を異にするものである。

そして、内部の批判を許さず、組合の組織全体で違法行為を行っている当時の原告組合にあっては、職員が組合内にとどまってこれらの違法行為を防止することは困難であるばかりでなく、そこにとどまることは、これらの違法な組合活動に加担することになり、事後的な懲戒処分だけでは、当該組合員の違法行為を防止することはできない状況にあったのであるから、特に、強迫等不相当な手段を用いるものでない限り、その違法行為を防止し、又は排除する方法として、原告組合からの脱退を勧告することも許されなければならない。

原告らは、職制らが、脱退を要求するに当たり、原告組合の組合員である限り昇任等で不利益を受けると言ったことは違法であると主張するが、原告組合の違法な組合活動に参加し続けることが、昇任等の人事において不利益に取り扱われる場合がある得ることは後述のとおりであるから、右のような状況のもとでは、職制らが、職制の立場又は職場の先輩として、右の程度の方法でこの道理をもって説得することもまた許されるものというべきである。

二新規採用者への教育

従前、横浜税関の実施する新規採用者に対する新人研修は、横浜税関の施設において行われていたが、昭和三九年度は、四月から六月までの三か月間、横浜市内の陸上自衛隊駐屯地において行われた。この新人研修で講師を務めた武藤税関長と松尾監視部長は、原告ら主張のとおりの内容で、全税関には加入しないようにとの趣旨を講演した。

昭和四〇年度以降は、同年に定められた研修計画大綱により、全国の新規採用者の新人研修(基礎科研修)は、毎年、採用直後の四月から六月までの三か月間、全員を東京の税関研修所に集めて行うこととされたが、昭和四〇年度の新人研修において、研修所長、首席指導官、横浜税関総務部長等は、公務員の労働者としての権利について説明をした後、「職場には旧労(第一組合)と新労(第二組合)の二つの労働組合があって、嵐が吹き荒れている状況である」、「これからは、同盟が大きくなっていく時代であり、同盟内において官公労の組織比率も高まって行くことになろう」などと述べ、総評、同盟等の上部団体の歴史的変遷と組織の概略についての解説をした。また、研修指導官である鈴木啓二は、寮での雑談中、研修生に対し、全税関組合員の上司に対する吊し上げの様子や全税関の配布物の回収について述べ、昭和四〇年度の横浜税関の女性の新規採用者に対する新人研修においては、本件第二組合の役員が、黒板に、「全税関は赤、我々の組合は白」と書いて全税関と本件第二組合との関係を話すなどした。

原告は、右行為は、新規採用者の原告組合への加入を規制するものであると主張するが、当時の状況下においては、右一で述べたのと同じ理由で、当局が、新規採用者に対し、原告組合の組合活動の実態を正しく認識させ、その違法行為に加担することのないように教育することは、必要なことであって、右程度のことは許されるべきである。

三新規採用者の組合選択

昭和三九年度の横浜税関の新規採用者に対しては、新人研修終了後、各職場において、本件第二組合員が同組合への加入を勧誘した。例えば、原告菊池ら一〇名が配置された鑑査部では、八坂管理課長補佐(本件第二組合の発起人)が、同組合の加入届の用紙を渡して加入を勧誘した。

昭和四〇年度の横浜税関の新規採用者に対しては、新人研修終了後、本件第二組合が東京の虎の門共済会館で歓迎会を開き、その場で同組合への加入届の用紙を渡して加入を勧誘した。

昭和四一年度以降の横浜税関の新規採用者に対しては、新人研修終了後、本件第二組合が一泊のバス旅行に招き、その場で同組合への加入届の用紙を渡して加入を勧誘した。

昭和四五年度以降は、新規採用者自らバス旅行を計画するようになったが、その宿泊先で、本件第二組合員が本件第二組合への加入届の用紙を渡して加入を勧誘した。

このようにして、新規採用者は本件第二組合に加入していったが、原告組合員は、これをベルトコンベアー方式と呼んでいた。

原告らは、当局の右行為は、本件第二組合への便宜供与であると主張するが、どのような便宜を与えたのかが明らかでないから、この点で右主張は理由がない。

第三原告組合の活動に対する批判

一当局幹部の批判

原告らは、当局は、原告組合の組織破壊を目的として、アカ宣伝をし、誹謗中傷を行ったと主張する。

東京税関会議資料中の「共組合」が、日本共産党又はその党員の支配する職員組合を示すものであり、また、前述の新人研修における横浜税関の武藤税関長、松尾監視部長の講演、普通科研修における横浜税関の角総務部長の講義、波来谷鑑査部長らの深田七郎の父と兄に対する説得内容は、原告組合を非難するものであることは、原告らの主張するとおりである。

しかしながら、これらは、原告組合の違法な政治闘争及び実力闘争を批判すると共に、原告組合が日本共産党の影響を受け、その分子に支配されているとして、これと対決することを基調とするものであるが、その趣旨は、日本共産党ないしその党員の指導のもとに行われる原告組合の違法な組合活動を批判し、これを規制することにより、税関の職場秩序を回復し、業務の正常な運営を図るべきことを述べたものであって、原告組合や組合員の存在それ自体や、政治思想、支持政党その他の政治的傾向を問題としているものではないことは、これらの発言等がなされるに至った経緯や、原告組合が違法な組合活動をする前には、特にこれらの点を問題としていなかったことから明らかである。法の適正な執行について責任を負う当局が、所属の職員に対して、原告組合の違法な組合活動の規制を図ることを明らかにし、これを実行することは、当然の職責であり、また、原告組合員の中に日本共産党員ないしその同調者と見られる職員が相当数いることは、原告らも否定しないところであって、原告組合を日本共産党又はその党員の影響を受けた組合と述べたことも何ら事実と異なるところはないから、これをもって、原告組合の組織に対する違法不当な誹謗中傷であるということはできない。

原告らは、そのほかにも、時田順三山下埠頭出張所長や北川清司総務部長が部下の全職制を集めて原告組合対策を指示したことも、原告組合に対する誹謗であると主張するが、当時の山下埠頭出張所は、非違行為一覧表で明らかなように、原告組合による庁舎内での抗議集会、職制に対する抗議行動、横断幕掲出等の違法行為が頻発していた時期であって、これらを規制し、職場の秩序を回復し、業務の運営の正常化を図ろうとすることは、全職制の職責であるから、同所長らがこれを指示するのは当然のことであって、違法になるいわれはない。

二本件第二組合等による批判

原告らは、本件組合分裂前後における脱退者の脱退趣意書や刷新同志会、本件第二組合発刊の機関紙の記事についても、当局がその作成者と共同し、又はその作成者を使って原告組合を誹謗中傷したものであると主張する。

しかしながら、これらの文書の作成者は、いずれも原告組合の違法な政治闘争や実力闘争を批判して原告組合を脱退した者であるから、その点で、その文書の内容が、原告組合の違法な政治闘争を規制しようとする当局の考え方と一致するのは当然である。したがって、それらの文書の内容が当局の見解と一致するからといって、そのことにより、当局がこれらの者と共同して又はこれらの者を使って文書を作成したとはいえない。また、仮に、当局が原告組合の違法な組合活動の規制を図ることを明らかにしたことに応じて、右脱退趣意書や機関紙が配布されたものであるとしても、先に述べたように、当局のその行為は当然の職責を果たそうとしたものであって、違法な点はないのであるから、これをもって、原告組合の組織に対する違法不当な誹謗中傷であるということはできない。

三当局と本件第二組合の関係

1 原告らは、当局(横浜税関当局)は、本件第二組合に対しては、結成後直ちに承認し、組合事務所、掲示板を貸与する便宜を図り、本件第二組合の保護育成を図ったと主張する。

原告らの主張する本件第二組合の承認とは、職員組合(職員団体)の申請に基づく人事院の職員組合の登録を指すものと思われるが、これは、人事院のしたことであって、当局の関与したことではない。また、組合事務所と掲示板は、原告組合に対しても同様に貸与しているのであるから、本件第二組合にこれを貸与したからといって、これが本件第二組合に対する特別の保護育成行為であると主張するのはあたらない。

2 原告らは、当局は、本件第二組合員が勤務時間中に官用車を使って行う組合ニュースその他の物品の搬送を黙認したと主張し、<書証番号略>と原告和久野本人尋問の結果中には、その主張のような物品搬送の事実があった旨をいう部分がある。

しかしながら、本件第二組合員によるそのような物品搬送の事実があったとしても、それだけで、当局がこれを黙認していたと断定することはできない。

3 本件第二組合の場合、昭和三九年五月の組合結成大会で選出された執行委員一五名のうち、組合三役は、執行委員長富田修が鑑査部、副執行委員長笹子良治が鶴見出張所、書記長門脇五郎が総務部に所属し、原告組合の場合、ほぼ同時期に同年七月の支部大会で選出された執行委員一八名のうち、組合三役は、支部長原告和久野が鑑査部、副支部長原告的場武夫が高島埠頭出張所、同原告高嶋昭が監視部貨物課、書記長原告小泉が監視部海務課に所属していた。その余の執行委員は、本件第二組合の場合、出張所勤務者は五名で、その余は総務その他の各部に所属し、原告組合の場合、出張所勤務者は一名で、その余は総務その他の各部に所属していた。

本件第二組合の執行委員は、概ね課長、係長クラスの職制職員であり、そのうち七名は、同年七月一日付で特別昇給をしているが、原告組合の執行委員は非職制職員であり、全員特別昇給をしていない。

この点について、原告らは、本件第二組合の発足に当たり、組合三役は、いずれも組合活動のし易い本関の比較的仕事との楽な職場に置かれ、初代執行委員中七名が特別昇給をするなどの有利な処遇を受けたと主張する。

しかしながら、右執行委員らは、役員に選出される前からそこに所属していたのであって、役員に選出されたために当局によってその職場に配置されたものではないし、本件第二組合の執行委員に選任された後に、そのことで、その在任中、配属の点で特に有利に取り扱われ、又は原告組合の執行委員に選任されたことで、その在任中、配属の点で特に不利に取り扱われたと窺わせるような事情は認められない。また、特別昇給をするには、後述のように、そのための要件が必要であり、本件第二組合の執行委員が昇給したからといって原告組合の執行委員も昇給しなければならないという筋合のものでもない。したがって役員の配属先や特別昇給によって殊更本件第二組合に対して便宜供与をしたと認めることはできない。

4 原告らは、当局は、原告組合との交渉の引き延ばしを図り、原告組合の要求を受け入れる場合にも、本件第二組合との打合せにより、同組合の活動の成果であるとして宣伝し、税関長自ら、同組合の組合活動に対する敬意を表明して、声援を送ったと主張するが、<書証番号略>によっても、その具体的な事実関係が明らかでなく、他にこれを認め得る的確な証拠はない。

もっとも、原告組合から交渉の申入れがあれば、当局はいつでもこれに応ずるべきであるとの原告らの主張からすれば、武藤税関長就任以降のこうした交渉のあり方の見直しをもって、当局が交渉の引き延ばしをしているということになるであろうが、先に述べたように、従前の交渉のあり方自体が問題であったのであるから、これを見直すことが違法不当であるとはいえない。また、本件第二組合を含め、全国各地の税関に第二組合が結成されたことを当局が歓迎したことは、想像に難くないが、これは、前述のように、税関の秩序を回復し、業務運営の正常化を図ろうとする当局と、当局との極端な対決を回避し、円満な労使関係を維持しつつ、より実質的に職員の労働条件の向上を図ろうとする本件第二組合のそれぞれの意図が、多くの部分で一致した結果であるから、横浜税関の最高責任者として、税関長がこれに敬意を表し、今後の協力を求めることがあったとしても、それが非難に値するものとも思われない。

第四警察と当局との関係

原告らは、当局は、警察を使って原告組合を弾圧したと主張するが、その主張する警察職員の行為と当局との関係が全く明らかでないのであるから、主張自体失当であるというべきである。

第五庁舎管理規則による規制

一庁舎管理規則に違反する集会等の規制

1 <書証番号略>の現認書に記載された個人原告らの本件庁舎管理規則違反の行為は、非違行為一覧表の本件非違行為のうち、無許可集会、座り込み、抗議行動、横断幕掲出、ビラ貼付、無許可古物販売会、不法文書貼付、職務命令違反等の行為である(<書証番号略>、原告小泉、同和久野各本人尋問の結果)。

原告らは、当局がこれらの行為を規制したことは、庁舎管理に名をかりた集会妨害等であると主張し、特に集会等妨害としてあげるのは、①昭和四一年四月八日の「忠鉢氏追悼・菅野さん連続宿日直反対」集会、②同月一九日の「菅野さん連続宿日直反対」集会、③同年五月二六日の大阪税関の殉職職員二名の一周忌の追悼集会、④同年六月九日の「改悪国公法実施反対、全国統一職場大会」の一環としての集会、⑤同月二三日の横浜税関の茅根職員追悼集会、⑥同年八月六日の「遠隔地不当配転抗議」集会、⑦同年一〇月二一日の総評の呼びかけによる「アメリカのベトナム侵略反対、生活と権利を守る諸要求の統一行動」の集会、⑧昭和四八年六月一三日の「差別是正、労使関係改善、綱渕さんを横浜に返せ」統一座り込み闘争等である。

しかしながら、これらは⑥の集会を除き、いずれも本件庁舎管理規則により一般的に禁止されている行為、又は同規則に従い管理者から所定の手続きによる許可若しくは承認を得ることを必要とするのにその許可、承認を得ないでした行為である。のみならず、庁舎の目的外使用基準の通達が出された昭和四〇年一二月以降、当局が横浜税関の庁内報により、同規則の趣旨を説明し、庁舎内における無許可集会等が同規則に違反する行為であり、違反者は厳重に処分する旨事前に警告していたにもかかわらず(<書証番号略>)、これを無視してなされたものであるから、その違法性は極めて強いものである。

これに対し、当局のした行為は、無許可集会などの行われる現場において、所属長が、職場復帰命令、制止命令、退去命令、解散命令を発するなどして、これを規制しようとしたものであり、その規制の態様も、マイクロホンを使用したり、職制を大勢動員したりしているが、原告組合の違法行為の程度に照らして、相当のものである。

⑥の集会に関して当局のとった行為は、職制らが、、新港分関の庁舎内から集会の様子をカメラで写したり、メモしたりしていたというものであるが、職制らのこの行為は、原告組合の従前の行動に照らし、不穏な事態が明らかに予測されたため、その動向を把握しようとしたものであるから(現に、その集会に引き続き集会参加者の一部約七〇名が抗議行動と称して抗議文を持って新港分関会議室に押しかけている。)、違法とまではいえない。

2 原告らは、当局は、原告組合員が三人寄れば無許可集会であるとして解散させようとしたと主張する。

この点に関して、原告石井の陳述書(<書証番号略>)には、同原告が山下埠頭出張所に勤務していた当時(昭和四二年七月から昭和四三年七月)、二人以上で話しをしていると、市川総務部長が庁舎管理違反の無許可集会と見なして付きまとい、話しの内容を確認しようとしたとあり、原告鈴木(旧姓床枝)茂の陳述書(<書証番号略>)には、同原告が千葉支署に勤務していた当時(昭和四〇年七月から昭和四三年一〇月)、他の原告組合員と三人で屋上で歌を歌っていたところ、職制が周りをウロウロして監視していたとある。右各陳述書からは、その場の状況も、その言わんとするところも必ずしも明らかでないが、組合活動を監視されていたというのであれば、勤務時間内又は庁舎内の組合活動は制限されるものであるからもとより、非組合活動まで監視されていたというのであっても、当時は、原告組合が絶えず無許可集会その他本件庁舎管理規則違反の行為を繰り返し、職制はその規制に追われていた時期であるから、職制がそれにあたるものかどうかを把握しようとしたとしても、そのことだけで違法であるということはできない。

3 原告らは、本件庁舎管理規則制定後も昭和四〇年一二月の庁舎の目的外使用基準の制定までは何の問題もなく集会等が行われてきたのに、その後厳しく適用することになったことからも、同規則の適用が原告組合の組合活動を妨害するためのものであることは明らかであると主張する。

同規則制定後も原告ら主張のようにこれを厳しく適用しなかった期間のあることは、被告もあえて否定しないが、これは、前述のように、当局が、同規則制定時の経緯や、当局と原告組合との力関係等から、直ちにこれを適用して規制をすれば、一層職場秩序が乱れ、業務の運営が阻害されると判断し、その比較考量のもとに、規制を差し控えてきたものであるから、これにより、同規則が原告組合の正当な組合活動を妨害するためのものであるとはいえない。

二庁舎利用の事前規制

1 原告らは、当局は、本件庁舎管理規則を濫用して、①昭和三八年一〇月、全税関全国書記長会議の開催のための本関講堂の使用を拒否し、②昭和四〇年三月三〇日、一旦、山下分会の懇談会開催のための山下埠頭出張所喫茶室の使用を許可しておきながら、この許可を取り消して使用を拒否し、③昭和四二年九月六日、原告組合の不当配転反対集会開催のための本関講堂の使用申請書を受理しながら、その使用を拒否したと主張する。

2 しかしながら、原告らは、右①、②については、本件庁舎管理規則に定める許可申請がなされたこと、③については、同規則に定める許可があったことを立証しないばかりでなく、税関の庁舎が、もっぱら税関業務の運営のために設けられた行政財産であり、原告組合に対しても、庁舎の設置目的に反しない限度において、集会の目的、参加人員、集会の態様、警備上の都合等諸般の事情を考慮して、その裁量により使用を許すことができるものであるところ、当時の労使の関係や右各集会の目的等に照らすと、右の使用を拒否した行為が同規則又は税関長の庁舎管理権を濫用するものであるとは到底いえない。

三文書配布、掲示に対する規制

1 原告らは、当局が職制多数を動員して、昭和三九年一〇月八日と九日の各早朝、本関玄関前において、原告組合員の行ったビラ撒きを妨害したと主張する。

右原告組合員の行為は、いずれも午前八時三五分から午前九時五分ころまでの勤務時間中、制服を着用して、庁舎内で組合活動のビラを撒き、その上、同月八日には横断幕も掲出したものであるから、本件庁舎管理規則に反する行為であることは明らかであり、これを規制することが違法であるはずがない。

2 原告らは、当局が労使慣行を無視し、原告組合の本関掲示板を独断で他に移動したと主張する。

従前、原告組合の本関における掲示板は、主要な出入口付近にあったが、場所柄美観を損なうものであった。このため、当局は、原告組合に対して他所へ移動することを申し出ていたが、原告組合は、掲示板をどこに設置するかは原告組合の自由であるなどと主張してこれに応じなかった。そこで、当局は、昭和三九年六月、これらの掲示板を撤去し、代わりに本関の一階喫茶室前と四階食堂前の各廊下に掲示板を新設して原告組合に貸与したものである(<書証番号略>、原告小泉本人尋問の結果、弁論の全趣旨)。

当局が庁舎の一部の組合掲示板を設置することを許可する行為は、庁舎における広告物等の掲示についての一般的禁止を、裁量により一部解除するものであって、これにより、原告組合に対して、何らかの公法上又は私法上の権利を設定するものではなく、当局は、庁舎の管理上必要があるときは、いつでもその移転を申し出ることができ、これに応じないときは、自らこれを行うことかできるものである上、庁舎の美観を保つため、原告組合にあらかじめ申し出た上、代替の掲示板を提供して右掲示板を移動したのであるから、何の違法もなく、これにより原告組合の正当な組合活動が阻害されるものではない。

3 原告らは、当局は、一方的に、原告組合の掲示板に掲示された掲示物を撤去し、又はその一部を塗り潰したと主張する。

この掲示物は、山下埠頭出張所の外部者も利用する食堂に設けられた山下分会の掲示板に、①昭和四一年一〇月に掲示した、総評・公務員共闘のポスター(アメリカのベトナム侵略反対、政府の人事院勧告値切り反対を理由とする一〇・二一統一行動としてのストライキ宣言)、②昭和四二年一〇月に掲示した、公務員共闘ポスター(公務員共闘のストライキ宣言)、③昭和四五年四月六日に掲示した、原告寺内の普通昇給の延伸に関し、抗議を示す原告ら主張の文言の記載されたステッカー及び同趣旨の寄せ書であり、当局の行為は、その掲示内容が不相当であるとして、それぞれ撤去時限を定めてその撤去を命じ、原告組合がこれに応じなかったため、①と②を撤去し、③の掲示物は、不相当の部分が僅かであったため、原告ら主張の当該部分をインキで塗り潰したというものである(<書証番号略>、原告和久野、同小泉本人尋問の結果)。

右①②の文書は、公務員に禁止されているストライキに参加を呼びかけるものであり、③の文書は職員(職制)を誹謗しその名誉を傷付け、不快の念を起こさせるものであって、本件庁舎規則の掲示禁止物に該当するから、当局がこれを撤去し、又は、撤去に代えてその一部を塗り潰したからといって、これにより正当な組合活動が阻害されるものではない。

4 原告らは、当局は、掲示物が掲示板から少しでもはみ出すとうるさく注意するなど掲示板の使用方法について細かく規制したと主張するが、庁舎の管理者として組合掲示板に掲示物が正しく掲示されているかに関心を持ち、不適当なものがあればこれを注意するのは当然のことであるから、そのことをもって当局が組合活動の妨害をしたということはできない。

第六原告らの違法行為に対する当局の監視と処分

一監視体制の整備

1 当局は、原告組合員が無許可集会等の本件庁舎管理規則違反行為をした場合に備えて、現場保存又は規制のためにカメラ、携帯用メガホン等の機材の用意をし、職制が違反行為を現認したときに作成する現認書の作成方法を指導し、あらかじめ、違反行為が発生した場合の現認又は規制に当たる人員配置を検討し、実際に違反行為が発生したときには、多数の職制を動員して、その違反状況をカメラで撮影したり、メガホンで規制したりしていた(<書証番号略>、原告小泉、同和久野各本人尋問の結果)。

2 原告らは、これらの措置をもって、当局(横浜税関当局)は、関税局の指示を受けて、原告組合の組織破壊のための特別の予算措置を講じ、現認書作成の指導までして監視密告体制を敷き、多数の職制を動員して組合活動を妨害したと主張する。

しかしながら、当時においては、全国的な規模で全税関の違法な組合活動が展開されており、横浜税関においても、同様であったのであるから、当局が、これらの違法行為を可能な限り的確に把握し、あるいは規制するために、事前、事後の措置を講ずるのは、行政機関としての当然の行為であり、これが違法になるわけがない。

また、全税関の違法な組合活動は全国的な規模で行われていたから、違反者に対する違反行為の把握や処分の仕方が区々別々になるのを避けるために、上級庁である関税局が、そのための指針を与えることも当然の措置というべきである。

二監視の態様

1 原告らは、当局は、原告組合員の机を上司の近くに置き、常に行動を監視し、現認書を作成していたとか、勤務時間の内外を問わず、原告組合員の行動を調査監視し、職制が折りにふれて原告組合員の言動を報告し合い、原告組合員の電話を盗聴し、原告組合員と非組合員との接触を妨害し、原告組合員を孤立させようとしたと主張する。

2 しかしながら、原告らの主張によってもどの程度の調査監視等がなされたのか必ずしも明らかでなく、<書証番号略>によれば、電話の盗聴というのも、職務中に執務室内でなされる通話を近くにいた上司が聞いたという程度のものであり、原告組合員と非組合員の接触を妨害したというのも、勤務中は職務に関係のない話しを慎むようにと注意されたといった程度のものであると認められるから、原告らの主張は理由がない。

三当局による処分

1 原告らは、当局は、原告組合員の正当な組合活動に対し、処分を濫発したと主張する。

しかしながら、個人原告らに対する処分の状況は、処分状況一覧表のとおりであり、その処分理由とされた事実は、非違行為一覧表の非違行為であって、庁舎管理権を侵し、職務命令に違反し、職務専念義務に違反する等これが違法であることは明らかであるから、その処分は正当であって、濫発などといえるものではない。

2 原告らは、昭和四〇年六月一日の原告和久野に対する訓告処分が厳重な警戒体制のもとで行われたことをもって、その処分が原告組合を弾圧することを目的としてなされたことを示すものであると主張するが、その処分が正当であることは先に判断したとおりであるのみならず、当時の原告組合の組合活動の状況からすれば、処分に対する実力による抗議行動等が十分予測されたのであるから、これに備えて警戒体制をとるのは、当局として、当然のことであり、そのことでその訓告処分が原告組合を弾圧することを目的としたものということはできない。

3 原告らは、当局は、原告組合員深田七郎に対し、ありもしない傷害事件を作り上げ、これを理由に、昭和四三年一二月二五日付で減給処分をしたと主張する。

しかしながら、その事実関係は、次のとおりである。すなわち、同年一〇月二日午前九時五分以降、山下埠頭出張所出入口において、十数名の原告組合員が、全税関の統一行動と称して、横断幕を掲げてビラ撒きをしていたので、佐藤淳保税課長が庁舎三階の窓越しにその状況をカメラで撮影しようとしたところ、深田が、佐藤忠男、原告菊池ら原告組合員と共に、佐藤課長を取り囲むようにしてこれに抗議し、揉み合いになり、その揉み合いの中で佐藤課長が、右手首に負傷した。これに関連して、深田が減給、佐藤が戒告の懲戒処分を受け、菊池が口頭による厳重注意を受けたというものである(<書証番号略>)。

この事実関係のもとでは、当局のした処分に誤りがあるとは認められないから、右主張は理由がない。

第六章差別及び嫌がらせの存否(昇任等と賃金を除く)

第一配転

一本件係争期間中の配転

当局は、本件係争期間中、原告組合員の主だった者について、次のとおり配転をした。すなわち、①昭和三九年六月一日、西方立兵を本関(陸務課)から千葉支署へ、原告鈴木俊久を本関(同)から横須賀支署三崎出張所へ、原告杉浦を本関(海務課)から高島埠頭出張所へ、原告清水を鶴見出張所から本関(業務部)へ、宮下某を新港分関から川崎支署へ、原告山田英幸を本関(鑑査部)から本関(監視部)へ、②昭和四〇年七月一日、原告和久野を本関(鑑査部)から高島埠頭出張所へ、いずれも本関からと思われるが、北沢某を横須賀支署へ、山田某を相模原方面本部へ、原告花島を本関(陸務課)から千葉支署へ、橘川節子を本関(海務課)から塩釜出張所へ、原告鈴木茂を本関(同)から千葉支署へ、原告間庭を本関(同)から小名浜支署へ、原告岩井を本関(同)から千葉支署へ、原告野中を本関(監視部)から千葉支所へ、平塚某を山下埠頭出張所から千葉支署へ、③昭和四〇年七月一日、原告渡辺栄子を本関(監視部貨物課)から、同図書調査室へ、さらに、同年九月一七日、山下埠頭出張所(輸出部門)へ、④昭和四一年八月一日、原告本藤を本関(監視部警務第一課)から小名浜出張所へ、原告宮應を本関(業務部)から千葉支署へ、原告成尾を本関(監視部警務第一課)から千葉支署へ、⑤昭和四二年一〇月一日、原告塚本を千葉支署から本関(輸出部)へ、原告小松を高島埠頭出張所から千葉支署へ、阿部裕子を本関(輸入部通関第二部門)から監視部警務第二部門へ、⑥昭和四三年三月一日、原告佐久間を鶴見出張所収納課から保税課新子安方面本部へ、⑦同年七月一日、原告野川を本関(輸入部)から川崎支署へ、⑧昭和四六年一月一六日、原告小野澤を本関(監視部)から山下埠頭出張所(輸入通関第四部門)へ、原告高橋健夫を川崎支署から三崎出張所へ、松岡淳夫を本関からと思われるが本牧埠頭出張所へ、原告熊澤を本関(業務部)から川崎支署へ、原告中村を山下埠頭出張所から川崎支署へ、⑨昭和四七年二月一日、原告佐藤里子を本関(輸入部分析第一部門)から同収納課へ、さらに、同年四月一日、もとの輸入部分析第一部門へ、⑩昭和四八年四月一日、原告五十嵐俊子を本関(輸入部通関第二部門)から同収納課へ、⑪昭和四九年二月一日、原告中村を川崎支署から本牧埠頭出張所へ配転した(<書証番号略>、原告和久野、同小泉各本人尋問の結果)。

二配転の相当性

原告らは、昭和三一年、原告組合と当局との間で、原告組合員の配転につき、①本関と支署・出張所の勤務は、二年で交替する、②住居移転を伴う遠隔地への配転は、事前に本人の同意を得る、③執行委員の配転は、事前に原告組合の同意を得るとの配転三原則の合意が成立し、又は同年以降原告組合と当局との間には、原告組合員の配転に関する右三原則の慣行が成立していたところ、右の配転は、この合意又は労使慣行に反するものであると主張する。

しかしながら、この主張にそうとみられる証拠(<書証番号略>)は、配転三原則が成立したとされる日から一〇年余も経た後に、原告組合が一方的に作成した支部ニュースであって、しかもその内容は、配転三原則を守れといった趣旨のものであるから、これをもっては原告主張の合意が成立したと認めることはできないし、その慣行が成立したと認めることもできない。のみならず、本来、法令によって任命権者に付与された人事権を一般的に制限するような職員組合との合意は違法であって、無効と解すべきであるから、仮に原告組合が実力闘争を背景として当局に事実上そのような取扱いをさせていた時期があったとしても、そのような違法な事項を内容とする労使慣行は成立する余地がない。

原告らは、右原告組合員らがいずれも原告組合又は分会の役員をし、又はかつて役員をしていた者で、原告組合の活動家であること、さらに、原告塚本は銚子市在住の病弱な父の介護をしていること、原告小松は蓄膿症にかかって治療の必要があること、原告熊澤は結核を患っていること、原告渡辺英子は配属先の女性職員は同原告だけで女性専用トイレがなく、休憩室も用意されていなかったこと、原告阿部裕子は幼い子を養育していること、原告佐藤里子は妊娠中であり原告五十嵐俊子は産休中であったこと、原告中村は通勤の便利な自宅近くの横須賀支署への配転を希望していたことを理由に、右配転は、原告組合(分会を含む)の役員と一般組合員との切り離し、原告組合員と非組合員との切り離し又は女性原告組合員に対する嫌がらせを目的としたものであり、原告組合員の配転に関する希望を無視した非人間的な配転であり、原告組合の組織破壊を目的とした配転であると主張する。しかしながら、業務上の理由があれば、原告らの主張するような事情のもとでの配転も通常あり得ることで、原告組合員に限られることではないから、それだけの事由でその配転が原告ら主張の目的でなされたものということはできない。

第二職場の配置

原告らは、当局は、新規採用者と原告組合員との接触を防止するため、新規採用者を配置した監視部の陸務課、海務課には原告組合員を配置せず、原告組合員の後には必ず原告組合員を配置するといったたらい回しの人事を行ったと主張する。

しかしながら、監視部の陸務課、海務課が新規採用者の多い職場であり、そこに原告組合員が配置されなくなったとしても、人員の配置は、業務の必要に応じてなされるものであるから、その点を抜きにしてはその配置が不当であるかどうかを判断することはできない。ところが、その点についての判断資料は何もない。また、たらい回し人事をいう点も、原告針生の陳述書(<書証番号略>)だけでは、これを認めることはできない。

原告らは、当局は、原告組合員を税関の管理部門から排除し、あるいは、特定の繁忙職場に集中して配置したと主張する。

しかしながら、税関の管理部門は、組合による業務管理を狙う原告組合員を配置するには適さない職場であるから、そこに原告組合員を配置しないのは、当然のことである。また、意図的に、原告組合員だけを特に繁忙な職場に集中的に配置したと認めるに足りる証拠はない。

原告らは、昭和四六年に入関し、ただ一人原告組合に加入した高野広志に対し、同期入関の本件第二組合員との接触を妨げるため、一緒に宿直勤務をさせなかったと主張する。

確かに、監視部取締第二部門第三班に配置された同期入関者五名は、昭和五七年三月三日から同年五月一日までの間、十回以上宿直を相勤しているが、同時に同班に配属された高野だけは、右五名と相勤していないようである(<書証番号略>、原告吉田本人尋問の結果)。しかしながら、その期間の前後は相勤させていたのか、そうでないのかも判然としないし、もし、その期間だけのことであれば、何故その期間だけを相勤させなかったのかも判然としない。したがって、その期間の状況だけで当局が原告ら主張の意図で相勤させなかったものと断定することはできない。

第三研修及び表彰

一研修

1 研修計画大綱で定められた昭和四〇年度以降の税関研修所所管の職員研修のうち、税関研修所本所(東京)で行われる高等科研修(毎年一〇五日間、全国で五〇名程度、横浜税関職員は一〇名程度を予定)は、役付き直前の六等級相当職員を対象に中堅幹部の養成を目的とする研修であり、基礎課研修(毎年九〇日間、一八〇名程度を予定、従前の新職員研修及び初等科研修に相当するもの)は、新規採用者全員を対象に基礎的知識を養うことを目的とする研修であり、税関研修所支所(各税関に付設)で行われる普通科研修(毎年七二日間、二期に分け、全国で二六〇名と一五〇名の合計四一〇名程度を予定、横浜税関では各期四〇名程度を予定、昭和四五年度以降中等科研修と改称)は、七、八等級職員を対象に資質の向上を目的として行われる研修で成績優良者を高等科研修の受講者とすることを予定したものである。

本件組合分裂以降、原告組合員の高等科研修の受講者はいない。普通科(中等科)研修の受講者は、個人原告では、昇給等一覧表のとおり、昭和四〇年度前には二〇名いるが、研修計画大綱に基づく研修実施後は、原告辻(昭和四一年、ただし六等級当時)、同加藤勝夫(昭和四〇年)、同篠原(昭和四八年)、同古屋(昭和四九年)が受講しているだけである(原告菊池は本件第二組合員当時に受講)。

高等科研修の昭和四〇年度から昭和四四年度までの間の全国の受講者は、二六二名(毎年五〇名程度)であるが、全税関組合員は含まれておらず、普通科研修の同期間の全国の受講者は、一〇七二名であるが(全職員数の約七分の一程度、全国で毎年一六〇名から二八〇名程度)、全税関組合員は、昭和四三年に一名が受講しているだけである(<書証番号略>、原告栗山本人尋問の結果、弁論の全趣旨)。

2 ところで、右の研修計画大綱では、高等科研修の横浜税関の受講者は毎年一〇名程度とされているので、両組合員数の割合からすれば、原告組合員の受講者が全くないということは、その選考に当たり、原告組合員であることが考慮された結果であると推認することができる。

しかしながら、高等科研修は、中堅幹部を養成することを目的とする研修であり、研修終了者は、税関機構上職制の地位に就くことが予定されているものである。つまり、その受講者は、将来、関税局及び各税関当局が法令に基づいて策定した税関運営に関する基本方針及びこれに基づく具体的施策について、その実現を図るため自らの職務を遂行し、かつ、部下の職員を指揮監督することが期待されている者である。ところが、原告組合は、税関運営の基本方針及びこれに基づく具体的施策の実行に異を唱え、当局の労務指揮権を排除しようとして、前述のように違法な実力行使を伴う過激な組合活動を展開し、現在においてもその正当性を主張して止まないのであるから、こうした原告組合の組合員に高等科研修を受けさせることは、その研修の目的になじまない。したがって、当局において、このような原告組合員に対し、高等科研修の受講適格を欠くものと判断し、受講の機会を与えないとしても、これをもって不当な差別であるということはできない。

3 普通科研修についても、相対的に原告組合員の受講者は少なく、これは、その選考に当たり、原告組合員であることが考慮された結果であると推認することができる。

しかしながら、普通科研修は、職制の養成を直接の目的とする研修ではないが、一般職員の資質の向上と併せて成績優良者には高等科研修を経て、中堅幹部への昇進の途を開くことを予定する研修であるから、それが単なる技術の習得にとどまるものでなく、実質的な税関の担い手を育成し、中堅幹部の候補を養成する研修と位置付けることができ、この意味において、高等科研修に劣らない重要な研修であるといえる。したがって、高等科研修について述べたのと同じ理由で、原告組合員が他の職員よりも相対的にふさわしくない場合が多いと考えられるから、その受講者の割合が少なくなるのは当然であって、これをもって、不当な差別であるということはできない。

4 原告らは、高等科研修、普通科研修のほかにも、各種の研修について、差別があったと主張する。

研修計画大綱に定める研修中、本件に関するものとしては、税関研修所支所で実施される専攻科研修(審理事務研修、保税事務研修、統計事務研修)、特修科研修(監督者研修、語学研修、簿記研修、水泳研修、武道研修)、各種講習等があるが、個人原告らは、昇給等一覧表のとおり、殆どの者がこれらの研修を始めとする各種の研修を受講しており、他の原告組合員も同様であると推認することができる。

原告和久野、同宮應、同五十嵐俊子、同小林鶴吉、同杼元芳子、同廣嶋、同仲川は、各種研修を受講していないが、各種研修は、当該研修の趣旨、目的、受講予定者数、受講候補者の経歴、経験年数、勤務部署その他を総合して、最も適当とする時期に適当と判断される者について実施されるものであって、全員について実施するとか、希望すれば受講することができるといったものではないから、受講していなかったり、受講の機会が少なかったとしても、そのことをもって、当局が所属組合を理由に差別したということはできない。

5 原告らは、原告藤田が昭和四七年七月、六等級主任から五等級分析官に昇任した際に、上司に対して分析研修を受ける時期を尋ねたところ、上司から、原告組合員であることを理由に研修を拒否され、その後も繰り返して要求をしたのに昭和四九年一二月まで研修をうけさせてもらえなかったと主張するが、原告藤田本人尋問の結果によれば、この主張にそう同原告の陳述書(<書証番号略>)は、上司の意思を忖度して書いたもので、実際にそうのようなことを上司が言ったものではないというのであるから、右主張の理由がないことは明らかである。

6 原告らは、昭和四四年ころ、原告石井が、同原告だけが簿記研修を受講することができない理由を上司に尋ねたところ、上司から「理由は君自身が分かっているだろう。」と言われたと主張し、同原告の陳述書(<書証番号略>)にはその主張にそう記載があるが、簿記研修は受講者数に制限があるものであるから、受講資格が生じたからといって直ちに受講することができるものでない上、同原告は、昭和四五年に評価事務研修を、四六年から四七年にかけて商業簿記通信研修をそれぞれ受講しているのであるから、これをもって、所属組合を理由とする不当な差別であるとはいい難い。

7 原告らは、原告廣嶋が身上申告書に研修の希望を記載したところ、上司から右記載を抹消するよう要求され、これを抹消するまで受理してもらえなかったと主張し、その旨の陳述書(<書証番号略>)を提出している。しかしながら、研修希望と書いただけで上司がこれの抹消を要求するといったことは通常考えられないことであり、むしろ、もし何らかの抹消を求めたとすれば、その文言が不適当であったからであろうと推測されるところ、原告らは、その文言の具体的内容を明らかにしないのであるから、右陳述書をもって、不当な差別があったと認めることはできない。

二表彰

1 昭和四二年二月二五日夜、千葉支署前の岸壁に停泊中の浚渫船第三墨田丸から火事が発生した際、千葉支署に勤務していた原告塚本、同宮應、同岩井、非組合員の宮崎仁、高地静らがこれを発見して関係方面に連絡すると共に、船に乗り込んで乗員を救出する作業に当たった。これに対し、同原告らは、海上保安部からは感謝状を、第三墨田丸の船主からは礼状をもらったが、税関内部からは表彰されなかった(<書証番号略>、原告中野本人尋問の結果)。

この件に関して、原告らは、千葉支署長が人命救助の表彰の上申をせず、後刻、問題とされて渋々上申したことが、原告組合員に対する表彰差別であると主張するが、同支署長は、原告組合員だけでなく、同時に救助に当たった非組合員についても同じ取扱いをしたのであるから、原告組合員だけを不当に差別したということはできない。

2 原告らは、原告鈴木(旧姓高嶋)江美子が外郵出張所に勤務していた昭和五三年から昭和五四年までの二年間、ただ一人だけ表彰されなかったと主張するが、同原告本人尋問の結果によっても、表彰の種類、表彰の時期、被表彰者等の具体的な事実関係が判然としないから、それだけで不当な差別によるものと断定することはできない。

第四職員宿舎

一独身寮

(<書証番号略>、原告栗山、同吉田各本人尋問の結果、弁論の全趣旨)

1 横浜税関の職員宿舎には、横浜市内に西戸部宿舎・寮、山手宿舎、新山下宿舎・寮、紅葉坂宿舎・寮(改築前の名称は「掃部寮」)、篠原宿舎、鶴見宿舎、吉田町宿舎、戸塚寮、川崎市内に川崎宿舎、横須賀市内に久里浜宿舎、走水宿舎、千葉市内に千葉天台宿舎、千葉弁天町宿舎、千葉四街道宿舎、四街道宿舎・寮、木更津宿舎、君津宿舎等がある。このほかに他省庁の国家公務員との合同宿舎もある。

2 昭和四〇年七月当時、同年に入関し、新人研修を終了して入居した者を含め、独身寮の久里浜寮の入居者は、深田七郎を除き、全員が本件第二組合員であった。深田は、昭和三九年の入関者で、初等科研修終了後本件第二組合に加入したが、昭和四〇年二月、同組合を脱退して原告組合に加入した者である。また、原告菊池も当時は本件第二組合員であった。

昭和四一年、独身者も入居していた山手宿舎と新山手宿舎の改築が行われることになり、当局は、同年三月末日までに、両宿舎の入居者から、宿舎の明渡承諾書と移転先等の希望を記載した転寮希望調書を徴した上、独身の入居者を独身寮の走水寮、戸塚寮、久里浜寮と掃部寮に転居させた。この時点で、戸塚寮の入居者は、全員が原告組合員となった。

昭和四二年五月下旬、久里浜寮の入居者全員が新築された新山下寮に転居した。

昭和四三年に深田が千葉支署へ、昭和四六年一〇月に既に原告組合に加入していた田中光雄と今井康夫が同じく千葉支署へ配転になり、新山下寮には原告組合員はいなくなった。

昭和四七年ころ、千葉支署から戻った深田が一旦新山下寮に入居したが、間もなく戸塚寮に転居した。

一方、戸塚寮に入居していた斎藤清信、篠田重寿と丸山尚毅は、原告組合を脱退し、久里浜寮を経て新山下寮へと転居した。

その結果、原告らが指摘するように、横浜市内及びその周辺の独身寮のうち戸塚寮には原告組合員だけが入居し、その他の独身寮には本件第二組合員だけが入居するようになった。

3 昭和四〇年七月、横浜税関に、横浜税関寮管理規則(税関長通達)が制定施行された。同規則では会計課長が事務を統括するものとすること(三条)、寮に、税関長の任命する寮管理人一名及び副管理人二名以内を置くこと(四条)、寮生は、面会人があるときは、所定の面会簿に記入し、管理人が指示した場所で面会するものとすること(七条)、寮生は、管理人がやむを得ないと認めた場合でない限り、外来者を宿泊させてはならないこと(八条)、寮生は、旅行、帰省、出張その他の事由により外泊をする場合はあらかじめその期間及び外泊先等を管理人に届け出ること(九条)、寮生は、寮の平穏を害し、風紀秩序を乱し、又は他の寮生の休養、睡眠等を妨げる行為をしてはならないこと(一〇条)、寮生は、管理人の許可を受けないで、居室及び共用施設の目的外使用、指定場所以外の場所への掲示等をしてはならないこと(一一条)等が定められた。

従前、独身寮では、寮生が自治会を組織し、寮長を選んで、事実上、寮を自治的に運営していたが、同規則の施行により、当局による寮管理体制は整備され、原告組合員が独身寮で組合活動をすることが困難になった。

昭和四六年一二月、久里浜寮の寮長(管理人)が、原告鈴木(旧姓高嶋)江美子らに対し、寮生に原告組合への加入を勧誘することを拒絶した事態は、このような状況下に生じものである。

4 原告らは、こうした独身寮の分離入居と管理強化は、原告組合活動に対する弾圧であると主張する。

しかしながら、原告組合員の戸塚寮への入居については、山下宿舎等の改築の際、同宿舎等に入居していた原告組合員からも転居先の希望を聞き、それに応じて入居させており、寮の設備等についての不満は格別、戸塚寮へ入寮すること自体については格別の不満はなかったもののようである。また、当時、職場において原告組合の違法な組合活動が頻発し、独身寮がその重要な拠点となっていたという特殊な状況や、既に戸塚寮に原告組合員が集中していたことなどを合わせ考えると、仮に、その後、当局がどの独身寮に入居させるかを決めるについて、所属組合員を考慮したとしても、それは、先に脱退勧奨ないし脱退要求について述べたのと同じ理由により、行政財産管理者である税関長に許された範囲のものというべきである。

また、先に述べたように、寮生が寮の運営を行い、しかも、寮を組合活動に拠点にすることは、行政財産としての寮の設置、貸与の目的に反することであるから、当局としては、独身寮本来の設置の目的に適合した管理運営をするため、寮管理規則を制定したものであり、これが原告組合活動に対する弾圧になるいわれはない。

5 原告らは、原告組合員の入居した戸塚寮とその他の寮とでは、テレビ、電気洗濯機等の設備に格段の相違があったと主張するが、昭和四一年三月当時、走水寮、戸塚寮、久里浜寮、掃部寮のいずれにも、食堂、厨房にトースター、食器戸棚、椅子、テーブル、ガス湯沸器、ガス炊飯器、ガスレンジ、電気冷蔵庫等が設置され、テレビ、扇風機、アイロン、洗濯機等も備えられるなど、福利厚生のための設備が揃えられており、昭和四七年には、戸塚寮と久里浜寮の洗濯機、ガス湯沸器、テレビが新たに取り替えられているのであって(<書証番号略>)、それらの設備に多少の新旧等の差があることはあっても、特に意図的に、原告組合員の入居する戸塚寮だけを設備で差別したり、設備の悪い戸塚寮に原告組合員を入居させたといえるような事実は認められないから、右主張は理由がない。

二家族宿舎

1 原告組合員の中でも、原告藤田は、昭和四〇年六月、本関に近い西戸部宿舎を提供されたが、これを断り、原告林は、昭和四二年八月、走水宿舎、川崎宿舎を提供されたが、これをいずれも断り、その後、昭和四八年二月、吉田町宿舎への入居を希望して同宿舎へ入居し、原告中見は、昭和四二年一一月、結婚と同時に走水宿舎に入居し、原告野中は、昭和四七年一月、西戸部宿舎への入居を希望したが、走水宿舎を提供されて同宿舎に入居し、原告小沢は、昭和四三年、横浜市内の宿舎を希望したが、昭和四四年三月末、走水宿舎を提供されて同宿舎に入居し、原告藤村は、昭和四一年八月、走水宿舎への入居を希望して、昭和四四年四月末、同宿舎に入居し、原告成尾は、昭和四六年一〇月、横浜市内の宿舎を希望したが、昭和四七年、走水宿舎の提供を受けてこれを断った(<書証番号略>、原告小沢、同林各本人尋問の結果)。

原告野中、同花島、同鈴木(旧姓床枝)茂は、昭和四〇年七月、千葉支署への配転に伴う、天台宿舎を希望したが、四街道宿舎を提供されて同宿舎に入居した。原告野中は、その後も天台宿舎への入居を希望し、これがかなえられないため、一時民間アパートを借りていたが、やがて、天台宿舎に入居した。原告花島は、風呂付の四街道宿舎への転居を希望し、これがかなえられないため、一時民間アパートを借りていたが、昭和四五年一〇月天台宿舎に入居した(<書証番号略>、原告野中本人尋問の結果)。

右のとおり、当局は、原告組合員であっても、宿舎に入居を希望すれば、希望どおりとはいえないにしても、相応の宿舎を提供しているのである。

原告らは、本件第二組合員に比較して条件の劣る宿舎を提供されたことが差別であると主張しているものと思われるが、比較の対象となる本件第二組合員がだれであるのかも、その者の地位、家族構成その他の条件も明らかでないから、原告組合員の入居について不当な差別があったということはできない。

のみならず、横浜税関においては、従来、国家公務員宿舎法施行令、同施行規則の定めるところに従い、宿舎に場所、規模その他の条件を考慮して、比較的高位等級にある職員又は役付職員を本関に近い横浜市中区、西区内の宿舎に入居させ、低位の等級にある職員は、周辺の宿舎に入居させる取扱いをしてきた。したがって、本件第二組合員に高位の等級や役付きとなる者が増えるに従って、同期同資格入関者でも宿舎に差が生ずることはあり得るから、仮に原告組合員が同期同資格入関の本件第二組合員よりも条件の悪い宿舎に入居する結果になっても、それだけの理由で所属組合による不当な差別であるということはできない。

2 原告らは、原告中見が走水宿舎に入居していた当時は、他からの入居者は、まず木造住宅に入居し、その入居の順に、鉄筋コンクリート造りの住宅に転居するといった慣例があったのに、当局が同原告を差し置いて本件第二組合員を直接鉄筋コンクリート造りの住宅に入居させたことは、所属組合による不当な差別であると主張するが、本来、どの宿舎へどの職員を入居させるかは、そのようなことで決めることではなく、国家公務員宿舎法の目的に従い、同法施行令、同施行規則の定めるところに従って決めることであるから、原告ら主張の順に入居させなかったからといって、他の諸条件を比較することなく、そのことだけで所属組合による不当な差別であるということはできない。

3 原告らは、当局は、各宿舎の本件第二組合員の家族に対して、原告組合員の家族との付合いを止めるよう働きかけ、そのため、走水宿舎においては、本件第二組合員の家族が突然原告組合員との牛乳の共同購入を止めるといった事態も生じたと主張するが、当局がそのような働きかけをしたと認め得る証拠はない。前述のように、職場において、原告組合員と本件第二組合員とが激しくいがみ合っているような状況のもとでは、その家族が対立組合員の家族を敬遠するのは自然の成り行きというものであり、これをもって、当局が原告組合員との付合いを止めるよう働きかけたということはできない。

第五その他

一サークル活動

横浜税関には、厚生委員会の協議を経て当局から補助金(厚生費)の交付を受けるサークルが三〇以上ある。このうち、合唱のサークルは、従前「コーラス部」だけであったが、本件組合分裂後の昭和四一年、尾山喜一(人事係長)、朝広保男(鑑査部副関税鑑査官)らが中心となって歌声サークル「ドレミの会」を発足させた。この発足に伴い、コーラス部から本件第二組合員がドレミの会に移籍し、その結果、コーラス部は原告組合員、ドレミの会は原告組合員以外の職員だけとなった。

これは、前述の東京税関会議資料の記載(「文化的活動は、サークルの二部制を考え、指導していく」)(<書証番号略>)に符合するようにみえるが、当時の横浜税関は、既に、原告組合と本件第二組合とに分裂し、原告組合員は、本件第二組合員を裏切り者、アメリカ帝国主義の手先などと、本件第二組合員は、原告組合員を赤い豚などと罵り合って、事々に激しく争っていた時期であり、また、原告組合は、サークル活動も組合活動の重要な一部とみていたのであるから、組合の分裂に伴ってサークル活動の面でも両者が分かれていくのはいわば必然の成り行きであり、ドレミの会の発足もその結果である。原告組合がサークル活動に対する弾圧であると主張するそのほかの事実も、同様に、組合分裂がもたらした結果であるから、先に述べたように、組合の分裂について当局に責任がない以上、これをもって、当局による原告組合の弾圧であるということはできない。

二葬式及び結婚披露宴

個人原告らの家族の葬式に上司が出席せず、弔電も打たず、個人原告らの結婚披露宴に上司が出席しなかったことは、原告らの主張するとおりである(<書証番号略>)。

しかしながら、当局がそれらの行為を指図したと認め得る証拠はない。これらは、職務を離れた私的な領域に属する事柄である上、当時の原告組合員と本件第二組合員との激しい対立の中で、特に、当面の敵として原告組合員から裏切者と罵倒されたり、吊し上げを受けたりしていた上司が、そのように裏切者と罵倒したり、吊し上げをするのに参加した原告組合員に対しては、その家族の葬式や本人の結婚披露宴であっても、出席したくなくなるのは人情というものである。個人原告らは、そのように敵とみなしていた上司から結婚披露宴でどのような祝辞を期待していたのであろうか。

いずれにしても、当局がこれらへの上司の出席を妨害したという原告らの主張は、到底採用することができない。

第七章本件非違行為

第一非違行為の成立

被告は、原告組合の各種闘争が展開される中で、個人原告らが、非違行為一覧表のとおりの非違行為を繰り返したと主張し、同表掲記の<書証番号略>の現認書(現認書、報告書等と題する書面)を証拠として提出した。

右現認書の中には、本件で「墨塗り現認書」と称する一群の文書が含まれている。もともとの現認書は、主として横浜税関の管理職の地位にある職員が、職務上の監督責任に基づき職員の非違行為を現認し、その都度これを上司に報告するために作成した文書である(この現認書をこの項では「原現認書」という。ただし、一部通関業者等職員以外の者が作成したものも含まれる。)。

墨塗り現認書は、横浜税関の職員山本雅幸(<書証番号略>)、宮沢敏恵(<書証番号略>)及び田中左千男(その余の墨塗り現認書)が、本件訴訟の証拠とするために、電子複写機を用いて原現認書を複写した上、そこに複写された個人原告ら以外の非違行為参加者の氏名等を黒く塗り潰す方法により抹消して作成した文書である(ただし、宮沢作成の文書は、黒く塗り潰す代わりに、当該部分を切り取ったものである。)(証人田中左千男の証言、弁論の全趣旨)。

そうすると、墨塗り現認書は、作成者が、これに対応する原現認書の記載内容の一部を報告する趣旨の思想・意思がそこに表示された文書と解することができる。

原告らは、墨塗り部分に記載されていた内容を明らかにしないまま墨塗り現認書を証拠に用いることは、原告らの攻撃防御の機会を奪うものであり、信義に反すると主張するが、墨塗り現認書は、当該個人原告の個々の非違行為が行われたことを立証趣旨とするところ、その非違行為に関する部分は墨塗りされていないのであるから、これにより原告らの攻撃防御の機会が奪われることはない。したがって、原告らの右主張は理由がない。

原告らは、個人原告らの非違行為に関する被告の主張及び証拠の申出は、時機に遅れたものであると主張するが、被告のこれらの主張立証は、原告らの主張に対する反対主張ないし抗弁とその立証であり、もともと原告らの主張立証が終わった段階で提出しても、特段の事情のない限り、訴訟を遅延させるものといえないものである。まして、右主張は、請求原因事実を立証するために原告らが申し出た多数の人証の取調べを残している段階でなされ、証拠の申出も即時取調べの可能な二、三通の書証を除いて、その後間もなくなされているのであるから、これが時機に遅れたものとは到底いえない。したがって、原告らの右主張も理由がない。

そして、墨塗り現認書と証人田中左千男の証言により、墨塗り現認書と同じ内容の記載された原現認書が存在したことが認められ、そのことと、前述の原現認書の作成者、作成目的、作成状況と、原告らも、原告組合によって墨塗り現認書に記載された集会、抗議行動等が行われたこと自体争わないばかりか、むしろ、そうした行動は当局の弾圧に対する正当な抗議や反対闘争として積極的に評価すべきものと主張していること等の弁論の全趣旨を総合すると、個人原告らにより、墨塗り現認書記載のとおりの非違行為がなされたものと認めることができる。

また、証拠に提出された原現認書については、証人田中左千男の証言と弁論の全趣旨によりこれが真正に成立したものであると認められ、その原現認書により、そこに記載されたとおりの個人原告らの非違行為がなされたものと認めることができる。

第二非違行為の違法性

個人原告らの本件非違行為のうち、勤務時間中に、リボン等を着用し、上司の取り外し注意、命令に従わなかった行為(リボン等闘争は、着用に至る行為に意味があるというよりも、その着用を継続することに本旨があり、組合の要求及び抗議を表示したリボンを着用したまま執務することによって、一方で組合員相互間で団結を確認すると共に、他方で、当局に対し、組合の団結を誇示し、表示された要求等が組合員共通の意思によって支えられていることを認識させて要求等の貫徹を図り、さらに、第三者に対して、組合の要求貫徹のための支援を要請しようとするところの持続的示威運動としての闘争戦術であるから、これが勤務時間中に行われれば、職務上の注意力のすべてを職務遂行のために用いるべき職務専念義務に反することは明らかであり、その着用者に接する職員の精神的活動に影響を及ぼす等して、職場の秩序を乱すものであることも明らかである。)、無断で離席し、当局の違法ビラ撤去に抗議し、上司の職場復帰命令に従わなかった行為、組合用務としてビラ配布や物品販売をした行為、上司の指示に従わず勤勉手当の受領を拒否して、当局をしてこれを供託所に供託させた行為等は、国公法九八条(法令及び上司の命令に従う義務)、一〇一条(職務専念義務)、一〇八条の六(職員団体のための職員の行為の制限)等に抵触し、職場内で勤務時間外に、無許可で集会を行い、当局の解散命令にも従わなかった行為、所属長に対して、大勢で面会を強要して抗議をし、当局の解散命令にも従わなかった行為、これにより、現に勤務中の他の職員の業務を妨害した行為等も、国公法九八条(法令及び上司の命令に従う義務)、九九条(信用失墜行為の禁止)、人規一七―二第七条二項、庁舎管理規則等に抵触するものであるが、特に、本件の場合は、長期間にわたって反復して繰り返しており、その違法性の大きいものである。

第八章昇任等と賃金

第一昇任等の根拠規定

一昇任

1 昇任とは、国公法に定める任用(任命)の一態様として、人規八―一二(職員の任免)第五条二号及び人事院規則八―一二(職員の任免)の基準について(昭和四三年六月一日人事院事務総長通達任企―三四四)第五条および第八条関係2により、狭義では、職員を法令の規定により公式の名称が与えられている上位の官職に任命することと定義されている(本件で問題とされる昇任はこの狭義の昇任である。)(以下、昇任等及び給与関係で引用する給与法及び人規に規定並びに用語は、昭和六〇年法律九七号による改正前の給与法及びこれに基づく人規の規定並びにそれらの規定の用語である。)。

2 昇任はそれ自体、職員の給与額(賃金)に直接影響を及ぼすものではないが、後述の等級別標準職務表において分類される職務の等級とこれに対応する標準的な職務の関係から、原則として、同表で分類されるところのより上位の官職への標準的な昇任が昇格の前提となり(昇任しても昇格しない場合もある。)、さらに、給与法の俸給表が、職務の等級と号俸により給与額が決定される仕組みになっているため、この意味において昇任は職員の給与額に影響を及ぼすものといえる。

3 昇任の要件は法定されていないが、国公法三三条は、職員の任用の根本基準として、国公法及び人規の定めるところにより、「その者の受験成績、勤務成績又はその他の能力の実証に基づいて、これを行う」と規定して成績主義の原則を掲げ、これを受けて同法三七条一項及び二項は、職員の昇任は、競争試験によるのを原則とする一方、職員の従前の勤務実績に基づく選考により行う旨を規定しており、人規八―一二第九〇条一項及び右人事院事務総長通達第四二条、第四五条及び第九〇条関係により、右選考は、任命権者が選考機関として、その定める基準により実施することとされている(ただし、指定官職を除く。)。

4 右任命権者による選考は、人規八―一二第四五条の選考の基準に関する規定、右国公法三三条の任用の基準に関する規定の趣旨を斟酌し、その者の経歴、学歴、知識、資格、能力、適性、勤務実績等を総合的に勘案してこれを行うべきものである。

横浜税関においては、税関長が選考機関として職員の昇任を選考により行っているが、明文化された独自の選考基準を設けておらず、右の各要素を総合して、昇任の適否を判断している。

そして、官職が上位になればなるほど、企画力、判断力、統率力等をより重視しており、一定の勤務期間が経過した等の事情から、自動的にすべての職員を選考により昇任させているわけではない(証人鈴木務の証言)。

5 昇任の定数枠も法定されていないが、行政機関としての横浜税関の組織上の制約、昇任後に従事する職務の内容等から、そこには自ずから数に制限のあることは当然である。

二昇格

1 昇格とは、給与制度上、給与法の俸給表(個人原告らの場合は同法別表第一イ行政職俸給表(一))の職務の等級を同一俸給表の上位の等級に変更することである(人規九―八(初任給、昇格、昇給等の基準)第二条三号)。

2 職員の職務の等級は、その複雑、困難及び責任の度に基づきこれを俸給表に定める職務の等級に分類するものとし、その分類の基準となるべき標準的な職務の内容は、人事院が定めるものとされ(給与法六条三項)、これを受けた人規九―八の別表第一イ等級別標準職務表(個人原告らに適用)は、標準的な職務とこれに対応した職務の等級を規定している。

3 昇格については、その要件として、①昇格させようとする職務の等級がその職務に応じたものであること(人規九―八第二〇条一項)、②昇格させようとする職務の等級について定められている等級別定数の範囲内であること(給与法八条二項、人規九―八第四条二項)、③等級別資格基準表(個人原告らの場合は同人規別表第二イ等級別資格基準表)に定めのある職務の等級に昇格させる場合は定められた資格(必要経験年数又は必要在級年数)を有していること(人規九―八第二〇条一項二号)、④昇格前の職務の等級に二年以上在級していること(人規九―八第二〇条三項)、⑤勤務成績が良好であることが明らかであること(人規九―八(初任給、昇格、昇給等の基準)の運用について)(昭和四四年五月一日給実項三二六)が必要とされている。

三昇給

1 昇給とは、職員の俸給月額を同一俸給表の同一職務の等級内において、上位の号俸に変更することをいう。普通昇給と特別昇給の二種類がある。

2 普通昇給

普通昇給の要件について、給与法八条六項は、「職員が一二月…を下らない期間を良好な成績で勤務したときは、一号俸上位の号俸に昇給させることができる」と規定し、人規九―八第二条五号は、「昇給期間」として、「昇給に必要とされる給与法第八条六項本文…に規定する期間のそれぞれの最短の期間をいう」と規定する。そして、同人規三四条一項は、普通昇給の場合の職員の勤務成績について、監督する地位にある者の証明を得ることを要求し、同条二項は、昇給期間の六分の一に相当する期間の日数を勤務していない職員その他人事院の定める事由に該当する職員については、右勤務成績についての証明が得られないものとして取り扱うものとし、これを受けた右給甲三二六通知第三四条関係2五は、停職、減給又は戒告の処分を受けた者を証明が得られない者と規定する。そして、右勤務成績の証明は、勤務評定記録書その他その者の勤務成績を判定するに足ると認められる事実に基づいて行うものとされている(右三四条関係1)。

3 特別昇給

特別昇給は、職員の勤務成績が特に良好な場合において、普通昇給の昇給期間を短縮し、又は現に受ける号俸より二号俸以上上位の号俸まで昇給させ、又はそのいずれをも併せて行う昇給である(給与法八条七項)。これには、特別昇給定数枠内の特別昇給(人規九―八第三七条)、研修、表彰等による特別昇給(同第三九条)及び特別の場合の特別昇給(同第四二条)の三種類があるが、本件で問題となるのは、第一の特別昇給定数枠内の特別昇給である。この場合の定数枠(定員に占める割合)は、昭和三四年度までは年五パーセントを超えない範囲、昭和三五年度ないし昭和四二年度は年一〇パーセントを超えない範囲、昭和四三年度以降は年一五パーセントを超えない範囲である。

特別昇給の要件は、積極的要件として、①勤務成績が特に優秀であることにより表彰を受けた場合、②勤務評定の標語が上位の段階に決定され、かつ、執務に関連してみられた性格、能力及び適性が優秀である場合、③勤務評定を実施しないこととされている職員にあっては、右②に相当する勤務成績を有すると認められる場合、④右②に該当する職員若しくはこれに準ずる職員又は右③に該当する職員が昇格した場合のいずれかに該当することであり(人規九―八第三七条一項)、消極的要件として、①条件付採用期間中の職員、②休職中や専従許可期間中の職員、③懲戒処分を受け、当該処分の日から一年を経過しない職員、④勤務しない日が一定数を超える職員のいずれにも該当しないことである。

四税関長の昇任等に対する裁量権

1 以上の個人原告らの昇任等を規律する給与法、人規等の規定に照らすと、任命権者である横浜税関長の個人原告らに対する昇任等の行為(発令)は、それぞれの行為に関する規定の相違に従い、その権限に広狭の差異はあるものの、基本的には、職員各々の経歴、学歴、知識、資格、能力、適性及び勤務実績等を総合的に勘案して、より上位の官職等(官職、等級及び号俸)に昇任等をさせることが適当か否かという高度に合目的、技術的見地からなされる裁量行為であるというべきである。

もっとも、普通昇給については、他の昇任等の場合と比べれば、税関長の裁量の範囲は自ずから狭くなるであろうが、前述の普通昇給の昇給期間の一二か月は、最短期間を定めたものであり、その上で昇給期間を良好の成績で勤務したことの証明を要し、さらに、これらの要件を具備した場合にも、なお、税関長において「昇給させることができる」と規定されていて、税関長に昇給を義務付けたり、当然に昇給の効果が発生したりするような規定にはなっていないのであるから、基本的には、税関長の裁量に委ねられているものと解すべきである。

2 原告らは、右給与法、人規等の規定にかかわらず、横浜税関においては、従来からほぼ年功序列的に、だれに対しても入関後一定年数を経過すれば昇任、昇格及び特別昇給が行われ、殊に、特別昇給は、入関後七年目以降七年間に一回に割合で順次全員に対して行われ、組合分裂後も原告組合内、本件第二組合内のそれぞれにおいては年功序列的に行われており、普通昇給は、通常の成績で勤務した職員に対しては、殆ど年一回自動的に行われてきたものであって、税関長としては、一定の経験年数を経過すれば、昇任等を義務付けられていたものであると主張する。

確かに、昇任、昇格については、従前、入関後一定の時期に、数年の間隔の中で相前後して行われ、本件係争期間においても、原告組合員と本件第二組合員のそれぞれの間においては、同じ傾向で行われ、普通昇給については、殆どの者に一年に一回、定期的に行われ(それ故普通昇給は定期昇給とも呼ばれている。)、特別昇給については、本件組合分裂前は、概ね任用から七年程度を経過した段階からほぼ七年間隔で、順次、行われていた(<書証番号略>、証人中田一夫の証言、原告藤田本人尋問の結果)。

しかし、従前の取扱いがそうであるからといって、そのことから直ちに税関長において、だれに対しても、一定の期間の経過により必ず昇任等をさせる義務があるということはできない。

第二裁量権の濫用と不法行為の成否

右の述べたとおり、昇任等をさせるか否かは税関長の裁量行為であるが、国公法二七条に定める平等取扱いの原則、同法一〇八条の七に定める不利益取扱い禁止の原則、同法三三条一項に定める成績主義の原則に照らし、昇任等について考慮すべき経歴、学歴、知識、資格、能力、適性及び勤務実績において、格別の相違がないにもかかわらず、原告組合に所属していることを唯一の理由として、原告組合員を非組合員(本件第二組合所属の職員及びいずれの組合にも所属していない職員)と差別して昇任等をさせなかったときは、税関長のその行為は、当該原告組合員に対する不法行為を構成すると共に、原告組合の団結権を侵害するものとして、原告組合に対する不法行為を構成することもあり得るものである。

そこで、この差別が行われたかどうかを、昇任等及び賃金の格差の存否、格差の原因と相当性の順に検討することとする。

第三昇任等及び賃金の格差の存否

原告らは、各個人原告に対応する標準対象者を設定し、その比較において、両者の間に格差があることを主張する。

このような方法で比較する場合に、どのような者をもって比較対象者とするかは、極めて困難な問題であり、原告らの主張するような方法で標準対象者を選定してみても、被告の主張するような矛盾を孕むことになり、これが厳密な意味での格差を算定するのに相当な方法であるかは疑わしい。

しかしながら、弁論の全趣旨によれば、原告らの主張する標準対象者は、概ね、これに対応する個人原告と入関時期、入関資格が同じで、比較的標準的な経過をたどって昇任等をしている者であり、個人原告は、それぞれ、この標準対象者と比較して、本件係争期間中、昇任等と賃金において、ほぼ原告らの主張する程度に低位に置かれ、その結果、同期間中の賃金総額において、標準対象者のそれよりもほぼ原告ら主張のとおりの金額(別紙請求債権目録の賃金相当損害金の項記載の金額)程度少なくなっていることが認められるから、両者の間に昇任等と賃金について格差のあることは明らかである。

第四格差発生の理由

個人原告らの本件係争期間中の本件非違行為、普通昇給延伸、病気その他による長期欠勤、個人原告らに対する税関長による減給、戒告等の懲戒処分、税関長等による厳重注意、訓告等の矯正措置の状況は、昇任等一覧表、非違行為一覧表及び処分一覧表のとおりである。このうち、本件非違行為は、国家公務員として法令を遵守する義務、上司の命令に服従する義務、職務に専念する義務に違反し、官職の信用を失墜するものであることは、先に述べたとおりである。その上、個人原告の殆どは、本件係争期間前から、全税関本部、原告組合及び分会等の執行委員その他の役員を歴任した者であり、本件非違行為のほかにも、無許可集会、抗議行動、吊し上げ等を計画、指揮、実行するなど、前述の違法な組合活動を積極的に推進した者である。

これらの事情は、昇任等をさせるかどうかを判断するについて、不利益に影響を及ぼし、又は特定の時期における昇任等に欠格事由となるものである。

これに対し、原告ら主張の標準対象者は、その多くがもと原告組合員であったが、違法行為を繰り返す原告組合と訣別して本件第二組合に加入した者であり、原告組合員であった当時は、個人原告らと共同して非違行為を行っていたとしても、原告組合を脱退した後は、非違行為等昇任等をさせるかどうかの判断に不利益に影響を及ぼし、又は特定の時期における昇任等の欠格事由となるような行為をしていない。

原告らは、原告組合を脱退した本件第二組合員も、原告組合員当時、個人原告らと共同して非違行為を行っていたにもかかわらず、脱退後直ちに昇任等がなされていると主張するが、違法な組合活動を展開する原告組合から脱退することは、少なくとも非違行為の故に勤務成績が不利益に評価されることがなくなることを意味するのであるから、その結果として、その者の昇任等が脱退後間もなく行われたとしても、これはむしろ当然のことである。

原告らは、個人原告らが、非違行為のない時期に昇任等をせず、非違行為が多数ある時期に昇任等をしていることからすると、原告らの昇任等がないことと非違行為とは関係がないと主張する。

しかしながら、昇任、昇格についての適格性の評価期間は、被告ら主張のとおり、入関以降の全期間であるし、その評価の対象は、本件非違行為に限らず、上位の官職に就かせるのを相当とするかどうかを判断するのに必要な一切の事項である。本件非違行為をした者はもとより、非違行為一覧表に本件非違行為として掲げられていなくても、無許可集会、抗議行動、吊し上げ等を計画、指揮、実行するなどして、前述の違法な組合活動を積極的に推進したことは、同様に不利益に評価されることになるから、本件非違行為がないからといって、それだけで昇任等の適格性があるとはいえない。反面、現行給与体系は、ある程度年功序列的要素を考慮に入れているから、比較的下位の官職にあっては、昇任等の欠格事由がない限り、他との均衡(並び)を考慮しつつ、非違行為があっても昇任等をさせることもあり得るわけである。したがって、個人原告らが、非違行為のない時期に昇任等をせず、非違行為が多数ある時期に昇任等をしているからといって、原告らの昇任等がないことと非違行為とが関係ないとはいえない。

原告らは、個人原告らには表彰を受けた者がいること、上司から直接職務能力があると評価された者がいることをもって、原告らの昇任等がなされないことと非違行為とは関係がないと主張する。

しかしながら、先に述べたように、昇任等は総合的な評価の上に立ってなされるものであり、仮に、何らかの表彰を受ける行為があり、あるいは技術的には水準に達していたとしても、それが当局の決定した基本方針とこれに基づく具体的施策に適合するように発揮されることがなければ評価することはできないのであるから、原告組合員のように業務の運営を妨げるような行為をしている者が全体的にみて低い評価を受けたのは当然である。これは、その者の所属組合の如何にかかわらないことであるから、原告ら主張の事実をもって、原告組合に所属することを理由とする不当な差別であるということはできない。

原告らは、当局は、組合活動以外の個人的な原因に基づく非違行為について、本件第二組合員についてはこれを問題とせず、個人原告については昇任等に不利益に考慮していると主張するが、一見同種と見られる行為であっても、その行為が行われた状況、行為の目的、態様、これが及ぼす影響等具体的な事情は様々であり、また、昇任等に影響を及ぼす事情はその非違行為に限らないのであるから、昇任等において差別がなされたかどうかはその行為についての具体的な事情や他の事情との関連でみなければ判断することはできないところ、その個人原告と本件第二組合員のこれらの点に関する具体的な事実関係は全く明らかでない。したがって、右主張は採用することはできない。

第五格差の相当性

右の格差が本件非違行為等によるものであるとしても、その非違行為等の程度に照らしてその格差が著しく不相当のものであれば、それは税関長の裁量権を越えるものとして違法となる。

しかしながら、前述のように、原告組合は、昭和三〇年代半ば以降、次第に政治闘争、実力闘争に走るようになり、当局の税関運営に関する基本方針、殊に業務の合理化に反対し、実力をもって、当局の管理運営権を排除しようとして、税関庁舎において、勤務時間の内外を問わず、当局の許可を受けることなく、執務室や公衆溜まりで職場集会を開き、税関長その他の職制に対し、話合いと称する団体交渉を求め、実現不可能な要求を突き付け、その要求が容れられないとして集団で吊し上げをするなどしていた。特に、昭和三五年六月には、安保改定反対闘争の一環として、勤務時間内に庁舎において、赤鉢巻姿でピケを張って職員の出勤を妨害したり、ジグザクデモ行進をしたり、職場大会を開いてスクラムを組んで労働歌を高唱したりして、税関の秩序を乱し、業務の運営を妨害した。このような組合活動が、武藤税関長就任以降、当局の規制に反発してますます増幅され、そのまま、本件係争期間に至ったもので、本件非違行為等は、こうした背景のもとに行われたものであり、その内容も、無許可集会、抗議行動、執務妨害、横断幕掲出、職務命令不服従、不法文書貼付、リボン等着用その他の行動を、当局の事前の警告や現場での中止命令、解散命令、職場復帰命令を無視して行ったもので、職場の秩序を乱し、業務の運営を阻害する悪質なものである。

こうした本件非違行為等の内容とこれが税関の業務運営に及ぼす影響、当該個人原告の懲戒処分歴等及び先に述べた昇任等の性質に照らすと、前述の本件係争期間中の昇任等と賃金の格差(原告らは、本件係争期間後の昇給等の格差をも主張するが、本件は、本件係争期間中の不法行為を理由としてその期間中に生じた損害の賠償を求める事案であるから、その主張の点は、ここでは考慮しない。)は、横浜税関長の裁量権の範囲内の行為によって生じたものというべきである。

第九章結論

以上要するに、原告らは、何の違法不当な行為をしていないのに、原告らの掲げる思想、信条だけを理由に当局から不当な弾圧を受け、差別を受けたと主張するものであるが、右に判断したとおり、原告らは、いずれも、違法行為を行っており、当局は、法の適正な執行を図るため、原告組合に対しては、違法な組合活動を排除し又は防止するに必要な限度で規制したものであり、個人原告らに対しては、その違法行為に加担したことを斟酌してその裁量権の範囲内で昇任等の適否を判断したのであって、原告らがその思想や信条を有することを理由にこれをしたものではない。もとより、思想、信条による差別の有無といったことは、事柄の性質上、個々の具体的事実を個別断片的にみるだけでなく、背景事情を含めて総合的にみなければ的確な判断を下すことができないものであるが、以上の判断は、これらの事情も考慮した上でのものである。

したがって、当局の行為に違法な点はないから、これが違法であることを前提とする原告らの本訴請求は、この点でいずれも理由がないことになる。

よって、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官小林亘 裁判官櫻井登美雄 裁判官中平健)

別紙当事者目録

甲事件原告 辻和也

外一一一名

甲事件兼乙事件原告ら訴訟代理人弁護士 山内忠吉

三野研太郎

木村和夫

伊藤幹郎

岡村三穂

小林章一

岡田尚

乙事件原告ら訴訟代理人兼甲事件原告ら訴訟代理人伊藤幹郎訴訟復代理人弁護士 横山国男

三浦守正

山内道生

甲事件兼乙事件原告ら訴訟代理人伊藤幹郎訴訟復代理人弁護士 陶山圭之輔

陶山和嘉子

宮代洋一

佐伯剛

谷口隆良

谷口優子

高荒敏明

若林正弘

畑山穣

川又昭

猪股貞夫

輿石英雄

佐藤卓也

大倉忠夫

根本孔衛

杉井厳一

篠原義仁

児嶋初子

村野光夫

永尾広久

増本一彦

増本敏子

長谷川宰

庄司捷彦

池田輝孝

岡村共栄

武下人志

小島周一

武井共夫

甲事件原告全国税関労働組合横浜支部訴訟代理人弁護士 千葉憲雄

細見茂

被告 国

右代表者法務大臣 後藤田正晴

右訴訟代理人弁護士 大森勇一

右指定代理人 布村重成

外一四名

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例